経済危機への対応、海外販売店立ち上げと、レールのない仕事の連続だった

 14年に及ぶ海外赴任は、経済危機対応であったり、ゼロからの事業立ち上げであったり、とレールのない仕事ばかり。前例のない仕事を通して、危機対応力や課題解決力が磨かれていった。

 最初の赴任地、タイに向かったのは98年のこと、アジア通貨危機の直後で販売が伸び悩むなか、オーストラリアへの輸出を実現させ、何とか乗り切った。販売調整で余剰人員が出ると、研修として日本の鈴鹿工場に100人規模でスタッフを送った。解雇をせずに従業員を守り抜くという会社の姿勢を目の当たりにすることとなった。

 41歳でベトナムに赴任したときにも、新たな試練が待ち受けていた。四輪ビジネス開始に向けて工場をつくり、1年3カ月後には販売開始という青写真ができており、その通りに事業を立ち上げろという命である。鈴木さんに与えられた課題は、販売網のゼロからの構築。「これからですか」という言葉が思わず口をついて出そうになった。

 わずかな期間で販売店を作らなければいけない。まずは販売店経営に名乗りを上げた人物がふさわしいかどうか、候補地での開設が可能か否か、見極める必要がある。経営者は申し分なかったものの、候補地が政府系の土地で入手できず白紙に戻ったこともたびたび。8店開設の予定を4店に絞りこみ、ようやくハノイ、ホーチミンで船出をすることができた。ゼロからの立ち上げで、鍛えられたという。

50歳で8000人の従業員を抱える中国合弁会社のトップに

 アジア赴任のなかで、40代のうちから関連会社の役員や経営トップを務めることになり、実践で帝王学を身に付けていくことになる。

 ベトナムでの新事業も何とか離陸し、次期には拡販に取り組もうというとき、今度はタイにあるアジア・大洋州本部に異動となる。地域事業企画室長という、責任あるポストに就くことになった。ホンダが生産拠点を作ると、関連する部品メーカーもまた相次ぎ現地進出をすることになる。アジア大洋州地域の本社として、日本の部品メーカーの進出を手助けするため、ホンダが一部出資し、コミットメントする。鈴木さんは43歳という若さで関連メーカーの役員にも名を連ねることになり、役員会に出席したり株主総会を経験したりするなかで、経営者の目線も磨いていった。

 50歳を迎え、今度は中国・武漢にある合弁会社の総経理(社長)に就任する。中国企業との対等合併による会社で、当時の社員数は8000人ほど。尖閣諸島問題で日本製品不買運動が起きている厳しい状況下だった。第三工場の建設承認を得ながらも、着工を延期するといった辛い決断をやむなく下したこともある。

 対等合併ゆえ、すべての経営判断は中国側トップである中国人の副総理と連携して進めないといけない。

「毎朝、お茶を一緒に飲みましょう」

 こう提案したのは、鈴木さんのほうからだ。毎朝9時からの会議の前に、何も案件がなくても20分から30分、お茶をともにする。中国語の通訳を介しながらも、会議の席では言えないようなことまで、さまざま相談することができたという。

 鈴木さんは通算14年に及ぶ海外赴任で、たしかな実績を積んできた。早くから役員候補と目されており、2016年に東京本社で執行役員の辞令が出たとき、驚く人はさほどいなかった。とはいえ未経験の日本市場のマーケティング戦略を担うことになり、今もチャレンジは続いている。

 心にいつも秘めてきたのは、父から贈られた「行雲流水」という言葉だ。自分が正しいと思うことに固執して押し進めたり、いろいろなことに抵抗したりしても物事はうまくいかない。ただし状況に流されるという意味ではない。周りの流れに敏感であることが大切だという教えだ。34歳のころから、ほぼ2年刻みで新たな赴任国で難題に取り組むにあたり、まさに「行雲流水」の心持ちで乗り切ってきた。これからも経済の好循環を生み出すことで社会に貢献する、という志を胸に、行雲流水の如くリーダーシップを発揮していくのだろう。

 鈴木さんのキャリア形成は、これまでの男性の昇進ルートと全く変わりがなく、女性ならではの壁が一切感じられない。均等法世代から誕生した、新しい生え抜き女性役員像といえそうだ。その軌跡からは、女性の幹部育成に必要なことが見えてくる。

 豊富な海外経験、さらには現地法人トップを経ての本社執行役員への道筋をみると、鈴木さんが海外赴任を通して大きく成長したことがうかがえる。既婚の女性社員に海外転勤を命じるのは難しいとされるものの、既に結婚していた鈴木さんが34歳でタイに赴任した際には、必要以上の「配慮」はなされなかった。鈴木さん本人も、夫から「どうぞ」とあっさり送り出されたという。チャレンジ精神のある女性に「家庭があるから無理だろう」といった気遣いをすることで、成長の機会を奪うこともある。海外赴任により一皮むける経験を重ねた鈴木さんの姿から、先入観に基づいた一律の「配慮」を問い直す必要性が浮かんでくる。

 もうひとつの大きなポイントは、「上司」である。鈴木さんが「上司の背中」から多くを学んできたことから、上司が男女分け隔てなく鍛えていたことがうかがえる。男女雇用機会均等法施行から30年超、女性をどう鍛えていいかわからないという管理職も少なくなかった。いや実は、今なおそうした管理職が少なくない。性別関係なく成長のチャンスを与える――あまりにも当たり前のことだが、今も多くの企業が抱える課題である。