日本における女性リーダーの育成は先進国のなかで大きく遅れをとっている。企業内でどのような経験を積んだ女性が、役員に就いているのか。どのような「一皮むける経験」がリーダーシップを育むことにつながったのか。キャリアの軌跡をつぶさに追うことで、企業内での女性リーダー育成のヒントを探る。
第1回目は、みずほ証券で2017年に女性初の役員に就いた絹川幸恵さん。1988年に総合職二期生として富士銀行に入行。1994年に富士証券(現みずほ証券)に異動して、育児休業も経て昨年役員に就いた。ここ数年、(男女雇用)均等法世代の生え抜き女性役員が次々に誕生しているが、その一人。ここまでの道のりを紹介しよう。

部長を“クビ”になったことが、役員につながった
2017年、みずほ証券初の女性執行役員に就き、注目を浴びた絹川幸恵さん。彼女には忘れられない経験がある。
「いったん部長を退いてもらうことになる」
上司に呼び出されてこう告げられたとき、顔がこわばり、心のうちでつぶやいた。
「これでもう私のキャリアも終わった」
39歳の若さで市場営業第四部長に抜擢されて4年目のことだ。自分では問題ないと思っていたことがトラブルとなり、部長として責任をとらざるを得なくなったのだ。
総合職二期生として入社して20年弱、社内でもキャリア女性のトップランナーとして知られた存在だった。営業部門ではトップセールス、企画部門に移ってからは日本経済新聞の一面を飾るようなプロジェクトを手掛けたこともあり、社内で一目置かれていた。ところが、この一件を機にさっと周りから人が引いていった。
「こんな理不尽なことがあるんだ」
砂をかむような思いで、不本意なポストに異動した。「仕事というのは人により支えられている」「私のことが好きで皆が寄ってきてくれたわけではないんだ」。さまざまな気づきを得ることになる。すべてを失った。今にして思えば、こうした修羅場をくぐったことで胆力がつき、役員の道へつながったと思っている。
子どもの入院で、仕事を続ける覚悟が決まる
2017年に女性初の役員となった絹川さんだが、30歳で育児休業をとり復帰して間もないころまで、どこか「腰かけ気分」があったという。子育てのために仕事を辞めてもいいかも、といった思いが頭の片隅にあったのだ。
転機となったひとつ目のきっかけは育児休業だった。連日テレビで流れるオウム事件の報道をみるうちに、「このままではダメだ」と思うようになる。1年後に復帰するときには仕事を続ける覚悟を決め、週3回はベビーシッターを頼んで体制を整えた。
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