【共学トップクラス「渋幕」の真のすごさとは?】
 1983年に開校した渋谷教育学園幕張高校(以下、渋幕)は、近年急速に進学実績を伸ばし、2017年には過去最高の78人が東京大学に合格。海外の名門大学にも、毎年10人ほどが進学する。共学校としては日本トップレベルに君臨する新興校の雄。元日本代表サッカー選手の田中マルクス闘莉王氏や日本テレビの人気アナウンサー水卜麻美氏などの逸材を輩出するなど、人材育成の力にも定評がある。渋幕出身の平野拓也・日本マイクロソフト社長は、その強さの秘訣は、「生徒の価値観を認め、主体性を邪魔しない『自由さ』」にあるという。

平野さんは、渋幕に1986年に入学した4期生とのことですが、当時は今のような“スーパー進学校” ではなかったですよね。

平野 拓也(ひらの・たくや) 日本マイクロソフト社長。1970年北海道生まれ。渋谷教育学園幕張高校を卒業。1995年に米ブリガムヤング大学を卒業し、大手商社・兼松の米国法人に入社。2005年にマイクロソフト(現日本マイクロソフト)に入社し、11年から14年まで中東欧地域に赴任。15年より現職。(写真:尾関裕士)

平野拓也・日本マイクロソフト社長(以下、平野):ええ。学校は千葉市のいわゆる「幕張新都心」にあるのですが、当時は周囲を見渡しても何もないところでしたし、開校して間もなくでしたから。ただ、とにかく「自由な雰囲気」があって、アメリカ人の母と日本人の父に育てられた私にとっては、居心地のいい学校でした。

それが、進学先に渋幕を選んだ理由ですか?

平野:そうですね。私は子供の時から、「世の中」というと少し大袈裟かもしれませんが、周囲に「驚き」や「インパクト」を与えるようなことをやりたいという気持ちが人一倍強かったんです。そんな気持ちも手伝ってか、中学生の時には生徒会の活動もしていました。ただ、通っていたのは家の近くの公立中学だったのですが、校則をはじめとした規則がこと細かにあって、とても息苦しかったんです。「中学生はこうあるべき」といった、生徒の考え方や行動を抑制するような価値観が支配していました。高校では、それとは全く逆の学校に行きたいと思ったんです。

入学してみてどうでした?

平野:思った通りの学校でしたね。当時から「自調自考」という教育理念を掲げているんですが、何でも自分の頭できちんと考えて、主体的に行動することを、学校が奨励していた。そんな校風が気に入って入学してきた同級生には、「地頭のいい人」が多かった気がします。渋幕というと、今では進学実績が伸びている点がクローズアップされることが多いのですが、私の個人的な印象では、それは単なる結果に過ぎません。それよりも私がありがたかったなと思うのは、生徒それぞれの多様な価値観を認めて、子供が本来持っている主体性を殺さないような教育をしようという気持ちが、学校全体で共有されていたという点です。

生徒主催のダンスパーティーに10万円支援

そんな自由な学校生活で、今でも印象に残っている出来事はありますか?

平野:高校1年生の時に、私が言い出しっぺになって企画したダンスパーティーが思い出深いですね。当時、アメリカの学園ものの映画では、決まってダンスパーティーの場面がありました。せっかく高校生になったんだから、私も学校の体育館を使って生徒主催の“ダンパ” をやりたいと思ったんです。

実際に開催するとなると、先生にかけ合うわけですよね。反応はどうでした?

平野:ダンスパーティーをやった前例なんかないし、生徒会から提案したわけでもなく、一人の新入生が言いだしたことですから、学校が取り合ってくれるかどうかも分かりませんでした。でも、“ダメ元”で企画書を書いて教頭先生に持って行ったところ、結果は意外にも、ほとんど二つ返事でOK。体育館の使用や告知活動などを認めてくれただけでなく、なんと資金援助までしてくれたんです。

それはすごいですね。いくら援助してくれたんですか?

平野:確か、10万円くらいだったと思います。体育館の飾り付けや、ちょっとしたお菓子や飲み物に使わせてもらいました。校内で一番人気のバンドにステージで演奏してもらって、思い出に残るいいイベントになりましたよ。もっとも、集まってくれた100人くらいの生徒がみんなシャイで、僕が思い描いていたようには踊ってくれなかったので、ダンスパーティーというよりもバンドの演奏会みたいになっちゃいましたけどね(笑)。それでも、仲間を巻き込みながら、協力して1つのものを作っていく作業は、まさに今の仕事につながる貴重な経験になりました。