(前回から読む)
みみず腫れ
金鉱山に履歴書は不要だ。ガリンペイロの多くはブラジル国民なら誰でも持っているはずのIDカードがない。根なし草の人生だから住民登録などしたこともない。病院には行かないから保険番号もいらない。働きさえすれば過去は不問にする。それが金鉱山の流儀だった。
鉱山の中で生きる者たちは、他の者がどこで生まれ、どのように生き、どうしてここに流れ着いてきたのか、何も知らない。出自はもちろん、本名さえ、知らない。

私たちにとって、取材の入り口となり得たのは「愛称」だけだった。ブラジルでは、「愛称」がその人物のキャラクターや出自を言い当てている場合が少なくない。一縷の望みを賭けて、ガリンペイロに愛称を聞いて回った。
彼らの愛称は余りに単純、かつ差別的なものばかりだった。ネグロン(黒い男。黒人の蔑称)、ソルド(耳の聞こえない人への差別語)。ボンチーニョ(ブタの尻・転じて同性愛者への蔑称)、ドルミ・スージョ(寝相の悪いヤツ・転じて男でも女でも節操なく寝る人間を示す隠語)……。
ブラジル人の同行者が言った。
「サンパウロでその言葉を口にしたら白い眼で睨まれるし、リオのファベーラ(スラム街)で見知らぬ人にそう呼びかけたら、下手をすると刺されるよ」
蔑称と差別用語がオンパレードのガリンペイロたちの愛称にあって、その男の呼び名は一風変わったものだった。
男の名はブッシュといった。直訳すると「縮れ男」という意味だった。
どこが縮れているのだろう。頭を見ると髪の毛は縮れてはいない。胸を縮れた胸毛が覆っているわけでもない。しかし、視線をさらに下、男の腹部に移した時、異様な文様が飛び込んで来た。
みみず腫れの傷痕だった。傷痕は太くギザギザしていて、肌の色よりひときわ濃い茶色に変色していた。
傷は一本ではなかった。胸からヘソまでの縦の傷があり、ヘソのやや上には腹部の左半分を横断し腰まで達する横の傷もあった。
腹の傷は、何度もナイフで刺され、抉られた痕に違いなかった。縮れ(ブッシュ)ていたのは、皮膚と内臓だったのだ。
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