なにしろ先ほど紹介したSeeedの3つの事業、すなわち一つめのPCB製造、二つめの公板・公模の販売、三つめの市場運営はどれも深圳にもともとあるビジネスだ。むしろSeeedが海外に提供している「クラウド化された深圳」よりもはるかに広く多様なビジネスが深圳には存在し、この地をハードウェアの聖地にしている。

 今クラウドファンディングに出されるハードウェアキャンペーンは過半数が中国発だ。アメリカで行われている世界最大の家電ショーCESでは、出展するスタートアップの多くが中国・深圳から来ている。DIYの延長でみんなが使うハードウェアを生み出すメイカームーブメントというマスイノベーションで、中国は間違いなくもっとも存在感の大きな要素となっている。

Seeed社長エリック・パン「僕たちは今も笑っている」

 2015年の李克強首相のアナウンスから、柴火創客空間とSeeedは中国全土のモデルになり、今も視察が相次ぐ。それでもSeeedはそこまで巨大化したわけでもなく、むしろブーム直後に社員を増やした体制からスリム化した。中国各地からメイカーフェアの運営を頼まれているが、それも地元深圳と成都で引き受けただけだ。

 創業者のエリック・パンは自分たちをこう語る。

 「起業したばかりの頃もメイカー的なプロジェクトをやっていた。太陽光を集めて料理をするといった、利益にはつながらないものだ。でも、メイカーたちをサポートするビジネスをしている間に、多くの魅力的なメイカーたちが深圳にやってきて、サポートするビジネスはドンドン大きくなった。今は政府も深圳はメイカーの街と言いだすほどで、深圳のメイカーフェアもすごく大きくなった。でも、僕たちは今も同じように笑っている」

 「深圳市政府はメイカースペースの運営に助成金を出し、深圳には200ものメイカースペースがある。僕は深圳のメイカー、200人も知らないけどね(笑)」

 エリック・パンは1983年生まれ、やっと30代の半ばになったところ。重慶大学で電子工学を学び、「世界で一番すごいコンピュータの会社」と憧れていたインテルに入社した。ところが研究開発ではなく品質管理の部署に配属され、「まわりの社員達が自分の将来だと思うとぞっとした」という理由で、1年ほどで退社。その後自転車で中国国内をまわり、モンゴルに電子部品を輸出するブローカーをするなど、ヒッピーのような生活を送っていた。2008年、25歳の時に深圳にたどりつき、自分のアパートでSeeed Studio(創業時の社名。現在は大きくなったのでStudioを外している)を創業。インテリでありながらヒッピーのようなバックグラウンドは、僕らの「中国人」に抱くステレオタイプから大きく外れる、筋金入りの「メイカー」だ。

僕が自作ビールをエリック・パン(右)にプレゼントした時。こういうことを喜ぶパーソナリティである

 政府からの大きな期待は、Seeedにとってありがた迷惑な部分もあるようだ。彼のプレゼンはいつも「強くて大きい恐竜の時代がおわり、俊敏な哺乳類の時代が来る」というテーマだ。自分の会社が大きくなることについてはいつも危機感を持っている。それはとてもメイカーらしく、また深圳らしくもある。