三宅: 実は日本のゲーム用AIは、つい最近まで弱い分野だったんです。伝統的に日本のゲームは、技術よりもゲームデザインを重視してきました。簡単に言えば、非常にクオリティーの高いお化け屋敷を作って遊べるようにする感じです。キャラクターは高度なことをしなくてもいい。作り手と遊び手がゲーム特有の「作法」みたいなものを共有しているので、キャラクターが多少不自然なことをしても、「ゲームだから」と受け入れてくれるんです。例えば、キャラクターが真正面から攻撃してきても、許してもらえるというところがあります。
海外のゲームは逆に、ゲームデザインは不器用だけれど、技術は早くから高度なものが使われていました。世界を丸ごとゲームに取り込んで再現する発想なんです。AIをゲームに取り入れたのもその流れ。欧米では日本のようなゲームの作法は理解してもらえない。敵が毎回前からやってくるなどという、現実にはあり得ないようなことは受け入れられないんです。
「もの」に知能を感じる日本
三宅: このように、文化によってAIに対する温度は異なります。そもそも「知能」の捉え方からして、国や宗教によって異なりますから。日本では、何にでも命が宿っているという感覚が一般的だと思います。「初音ミク」にも、「たまごっち」にも、命や知能があると認める人は少なくないですよね。
他方、欧米では宗教的な価値観が強く、「神>人間>機械」という序列が厳然として存在します。本来知能がないものに、知能が宿っていると認めることのハードルは非常に高い。
友香: わかります。日本には古くから「八百万(やおよろず)の神」という考え方があるせいか、人間に限らずいろいろなものに魂が宿ると、多くの人が自然に受け入れていますよね。私たちがCGで開発したバーチャルヒューマンの「Saya」は、もともと自分たちの技術を紹介するための存在でしたが、発表すると大きな反響がありました。皆さん、彼女に「命」を感じ、生きている背景を想像してくださるんです。「おばあちゃんっ子なんじゃないか」とか「下北沢や神戸っ子の雰囲気がある」とか。皆さんのそんな想像を聞いて、私たちで消化しながら成長させてきました。
三宅: (Sayaの映像を見ながら)まばたきのタイミングもリアルですね。
TELYUKA 石川晃之(以下、晃之): 動きは、パフォーマンスキャプチャーを使って実際の人間の動きを取り込んでいます。ただ、人間の動きをキャプチャーの技術だけで再現するのは、現時点では難しいと感じています。
実在感を出すには、「中身」も重要です。例えば、見えない部分は用意しないのが一般的です。最終的な衣服を着た状態を1枚の絵で描けば済むかもしれませんが、その方法だと実在感のあるディテールは出ません。ベースとして衣服を着せるための体を用意し、現実と同じように型紙から作った衣服のモデルを幾重にも重ねていきます。
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