スタジオワークという概念を生み出した

吉田省念さん
吉田省念さん
1980年生まれ。18歳のとき、カセットMTRに出会い自宅録音・一人バンドに没頭。これを機に色々な楽器を演奏する事に興味を持つ。2014年から地元京都のライブハウス拾得にてマンスリーライブ「黄金の館」を主催し、さまざまなゲストミュージシャンと共演。既成概念にとらわれない音楽活動を展開中!(写真/直江竜也)
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 現役のミュージシャンにザ・ビートルズは、どのように受け入れられているのか? この問いをぶつけてみたのが、京都を中心に活動するミュージシャンの吉田省念さん。一時期「くるり」にも在籍したことでも知られ、2016年に発表したソロアルバムには細野晴臣さんらが参加し、その音作りが音楽好きを唸らせた。

 「中学2年のとき、バンドを始めたのですが、そのころ家にあった古いロックのアルバムを聴きだして、ザ・ビートルズのカバーなどを始めたんです。それほどマニアックなファンではないですが、好きで聴いていました」

 吉田さんとザ・ビートルズをつなぐキーワードは“宅録”、つまり自宅でのレコーディングである。今では、パソコンなどを活用して、バンドが宅録でデモテープを作るのは珍しいことではないが、彼はその走りだ。17~18歳の頃にMTR(マルチトラック・レコーダー:多重録音ができる録音機材)を買って「宅録」を始めたという。

 「宅録とザ・ビートルズは切っても切れない縁があると思うんです。中学生の頃にカバーしていたビートルズの曲は、主に中期までのもので、ビートルズの後期の曲は中学生には理解できない部分がありました。ですが、録音に意識が行き始めると、多重録音であったり、曲の中のコラージュ的な音に興味が湧いてきました。『ミスター・カイト』のオルガンの音や、『グッド・モーニング・グッド・モーニング』の動物の鳴き声が次々に現れる箇所など、録音のアイデアがとても楽しかったです。特に逆回転(注)は宅録する人は必ずやりますよね」

(注) 逆回転とは、レコーディングで録音したテープを逆に回転させて不思議な音響効果を出す録音技術のこと。ザ・ビートルズではアルバム『リボルバー』に収録されている曲「トゥモロー・ネバー・ノウズ」などの不思議な音がそれにあたる。

 ザ・ビートルズは1966年以降、大きな会場のライブ活動は休止して、スタジオにこもり、当時としては最新の録音技術を駆使して、次々と斬新な作品を作り出した。吉田さんは、この点がスタジオワークという概念を生み出したと考えている。

 「『サージェント・ペパーズ』はすごく長い時間をかけたプロダクションだったらしいですよ。当時はスタジオに入ったらすぐに録音して発売するのは当たり前。あれほど作り込んだアルバムは、ほかの人はまねできなかったでしょうね。当然スタジオを長い期間借りることになるので、お金もかかりますから。そういう意味で、ビートルズはいいお金の使い方をしてくれたと思います。それでスタジオワークの歴史が変わったんですから」

 最近はミュージシャンをアーティストと呼ぶことに違和感はない。それどころか、素晴らしい楽曲をクリエートするという意味ではまさに尊敬の証としてアーティストと積極的に呼んでいるはずだ。ミュージシャンがアーティストに変化したきっかけもザ・ビートルズだと吉田さん。

 「『サージェント・ペパーズ』以降は、芸術家にとってのアトリエと同じ意味で、ミュージシャンがスタジオを“アトリエ”にした。ザ・ビートルズはそのアトリエでいろいろな音楽上の実験をしました。当時はほかにも実験的な音楽をやっていた人はいましたが、大衆的なポピュラー音楽で実験的なことをしたのはザ・ビートルズが初めて。だから、ザ・ビートルズはミュージシャンではなく“アーティスト”と呼ばれるようになったんですね。そのきっかけが『サージェント・ペパーズ』だったのだと思います」

 実は吉田さんは自宅の地下を“アトリエ”にしている。そこは「九条山省念スタジオ」と名付けられ、吉田さんは自身のソロもここで録音した。ミュージシャンが、スタジオワークで作品をクリエートするスタイルをザ・ビートルズは生み出した。そして、時代は流れテクノロジーが進歩した結果、今では自宅にスタジオを持つこともミュージシャンなら珍しいことではないだろう。今後、九条山省念スタジオからどんな曲が生まれるのか、注目しておきたい。

(写真/直江竜也)
(写真/直江竜也)
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