切符がすべて“手売り”のレトロな駅に到着
札沼線の列車は札幌駅から出発する。とはいっても、駅構内には札沼線という表示は見られない。「学園都市線」という愛称が用いられているからだ。早朝6時20分発の初電の行き先は新十津川駅ではなく、途中の石狩当別駅。6両編成の電車だった。札幌駅からしばらくは車窓に住宅街が広がり、東京郊外の私鉄に乗っているような雰囲気。この先に、列車が1日1本の終着駅が待ち受けているとはとても思えない。
札幌駅から約30分で石狩当別駅に着く。ここで、ホームの向かい側に停まっている浦臼行きに乗り換えとなる。浦臼行きは前述したキハ40系が1両だけで、これまでとの落差が激しい。車内は国鉄時代からほとんど変わっておらず、タイムスリップしたような雰囲気だ。
落差は車両だけでない。次の北海道医療大学駅こそ駅前に同名の大学があって立派だったが、その次の石狩金沢駅はホームの横に貨物列車の古い車両を改造した簡易駅舎がポツンとあるだけ。その次も、そのまた次の駅も、同じような駅舎だった。車窓ものどかな田園風景へと変わったが、人が住んでいないような原野ではない。並行するようにクルマが行き交う幹線道路も見え、人口が希薄な地域ではないようだ。


終点の新十津川駅まで行くのは約1時間後の列車なので、途中の石狩月形駅で途中下車してみることにした。ホームに降りると、駅員が大きな輪っかを持って立っていた。そしてそれを列車の運転士に渡す。昔ながらの「通票(スタフ)の受け渡し」という作業で、列車に乗っていた鉄道ファンたちが一斉にカメラを向ける。
この石狩月形駅から新十津川駅までの約30㎞は、1本の線路だけで列車が行き違う設備もないため、もし石狩月形駅から先に2本の列車が入ると衝突してしまう可能性がある。そこで使われるのがスタフ。これを受け取った列車だけが先に進めるという、鉄道版「通行手形」だ。スタフを受け取ると、列車は浦臼駅に向けて出発していった。


石狩月形駅には券売機もみどりの窓口もない。それでも切符売り場はあり、先ほどの駅員が切符を手売りしている。売っているのは、これまた昔ながらの機械発券ではない切符。入場券はボール紙の「硬券」、よく売れる乗車券はあらかじめ印刷された「常備券」に日付を入れる。用意されていない区間については、駅員が手書きで区間や金額を書き入れる「補充券」で対応する。
作るのに手間がかかる切符だが、この駅員はファンの対応に慣れているよう。隣の知来乙駅までの切符を頼むと、「常備券を売ったら後で本社のチェックがあるんだけど、この間本社から『最近、知来乙(ちらおつ)駅までのが多いけど、なんで? あそこの駅って周りに住んでいるような人いないよな』って不思議がられたのよ。『そりゃ、ファンの人に頼まれるから売ってるのよ』って答えたら、ビックリしてたな」と言って、嫌がらずに“書き上げて”くれた。




その途中で、事務所に1本の電話がかかってきた。駅員の受け答えが「そうなの?」「そりゃすごいな」といった内容だったので何かと思ったら、「次の新十津川駅行きが、ぎゅうぎゅう詰めで出発したって、石狩当別駅からの連絡だったよ」(駅員)。そして、「普段からそれだけ乗ってくれればいいんだけどね。最近はファンの人に『廃止になるんでしょ』って聞かれるけど、本社からはまだなーんも話下りてきてないよ」と苦笑していた。
1時間後、その新十津川行きがやってきた。先ほどと同じキハ40系が1両。たしかに車内は通路から出入り口まで乗客でぎっしりだ。地元客と思しき人はほんの一握りで、ほとんどが廃止を予想してやってきた鉄道好きのようだ。
石狩当別駅から石狩月形駅まで乗っていた車両が、浦臼駅で折り返して戻ってきた。駅員が出てきて、向こうの運転士からスタフを返してもらい、こちらの運転士に渡す。これで石狩月形駅から先へ進む準備が整った。


Powered by リゾーム?