最終列車の役割も担う上り列車

 1時23分、列車は今までとは逆方向に、ゆっくりと進み始めた。B寝台ということもありぐっすりと眠り、目が覚めたのは翌朝の5時半過ぎのこと。9月の段階ではこの時間、外はすっかり明るくなっており、北海道らしい広大な農地が東京からはるか遠くへ来たことを実感させた。

 5時55分、はまなす号は最後の停車駅、新札幌駅に到着。1973年に開業した比較的新しい駅で、まるで東京近郊の私鉄駅のような高架ホームだ。この日は増結していたせいか、自分が乗っていた寝台車など数両がホームからはみ出して停車。前のほうの車両から降りるように車内アナウンスが入った。

 新札幌駅を出るとほどなく、札幌駅到着のアナウンスが流れる。乗り換え案内では、網走行きの特急「オホーツク号」、稚内行きの特急「スーパー宗谷号」などが案内される。物好きしか実行しないだろうが、青森、札幌と乗り継げばJR最北端の稚内駅にも到達可能なのだ。

 札幌駅でも青森駅と同様、機関車がホーム先端に停車しており、正面からの撮影は適わなかった。朝日を浴びる客車を見ると、昨晩は気づかなかったが、塗装の浮きや剥がれ、さびなどが至るところに見受けられ、先が長くないことをうかがわせた。一方、寝台車の中には1両だけ非常にきれいな状態の車両もあり(2015年の6月に検査整備済みの記載あり)、イベント列車などで活躍を続けるか、最悪でも保存されることに期待したいものだ。

朝日を浴びると、車体の凹凸が浮かび上がり痛々しい。一方、検査明けで艶のある車体の客車もつながれていた
朝日を浴びると、車体の凹凸が浮かび上がり痛々しい。一方、検査明けで艶のある車体の客車もつながれていた

 札幌駅到着後、廃線問題で揺れるローカル線を訪れたのち(これについては次回の記事で紹介予定)、その夜再びはまなす号の乗客となって青森駅へ戻った。今度はB寝台車は取れず(それにそれだけのお金もなく)、“外れ”指定席に座った。

はまなす号の出発ホームではカメラ片手のファンが目立つ。先頭に立つDD51型機関車を撮ろうと長い列もできていた
はまなす号の出発ホームではカメラ片手のファンが目立つ。先頭に立つDD51型機関車を撮ろうと長い列もできていた

 前の座席との間隔は約90㎝と広いとはいえず、しかも座席の下が暖房機器で埋まっているので足を伸ばすのは困難。それ以上に不便だったのが、座席の背面にテーブルが付いておらず、窓側でないと飲み物を置くスペースがないこと。飲みかけの缶ビールを、傾かないように気を付けながら網ポケットに入れるのにはかなり緊張した。

 B寝台車に乗っていたときには気付かなかったのだが、座席車のほうは室内灯が煌々(こうこう)とともり、夜行列車らしさはあまり感じられない。それもそのはず、札幌駅を22時ちょうどに出発すると、新札幌駅、千歳駅、南千歳駅、苫小牧駅、登別駅、東室蘭駅と細めに停まり、最終列車の役割も果たしているのだ。昔は「乗り過ごしたら最後、翌朝とてつもなく遠くまで運ばれてしまう」という夜行・最終列車兼用の列車は多数あったが、今でははまなす号くらいなもの。ちなみにはまなす号の廃止後は、ほぼ同じ時刻に室蘭行き特急「すずらん号」が増発されることが決まっている。東室蘭駅より先の伊達紋別駅、長万部駅に行かなくなるのは不便だが、客車から電車に変わるので所要時間が短くなるほか、乗り過ごしの心配が減るのはいいことかもしれない。

最終列車も兼ねているため、停車駅は多い。乗客の荷物が比較的多いのは、遠くまで走る夜行列車ならでは
最終列車も兼ねているため、停車駅は多い。乗客の荷物が比較的多いのは、遠くまで走る夜行列車ならでは

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