消えつつあるアイデンティティ

【午後4:30 地元NPO】

 それほど家賃が上がったのであれば、他の住民と同じようにもっと安い地域に引っ越せばいいのではないかという指摘も上がるかもしれない。だが、イーストパロアルトには友人や親戚もいれば、なじみの店もある。そのコミュニティしか知らない人にとって、“移住”というのは口で言うほど簡単ではない。

 それでも、旧住民の転出とテック系新住民の流入で、イーストパロアルトのコミュニティは徐々に希薄化しつつある。その中であらがう人もいる。

 地元NPOのAble Worksで働くアリシア・ポンセ・ディアスもそんな一人。イーストパロアルト出身の彼女は東海岸の名門、イエール大学を卒業後、就職せずに地元に戻り、若者の自立支援を手がけるAble Worksに参画した。「自分のコミュニティに戻り、自分のコミュニティのために働きたいとずっと思っていたんです」。そうアリシアは語る。

大学卒業後、コミュニティに貢献するために戻ってきたアリシア・ポンセ・ディアス

 彼女が目指しているプログラムは若者の財務リテラシーの向上だ。投資とは何か、なぜ投資が重要なのか、銀行のチェッキングアカウント(小切手用の当座預金口座)とセービングアカウント(貯蓄口座)の違いは何か、自分のお金をどこにどう配分すべきか、お金とどう付き合っていくか――。そういったプログラムを作り、地元の高校生に教えている。

 「生徒は12週から24週のプログラムを受講します。お金の知識はシリコンバレーにいるからこそ求められるものだと思います」。最近ではシングルマザーの経済的自立支援にフォーカスしたプログラムも始めた。

 なぜこのような活動をしているのか。それは生まれ育ったコミュニティを維持したいとアリシアが考えているからだ。

 彼女が両親と暮らしている地域はみんな顔なじみだったが、別の地域に転居したため、今では2~3家族しか残っていない。再開発によって古くからのコミュニティが消えていくのはよくある話で、そんな感傷に浸っていては都市のバリューアップなどできないという見方も当然あるだろう。ただ、変わり続ける中で地域の歴史やアイデンティティを残していくことは残された人の責務。そのためには地元の子供たちが生きるための力やスキルを身につける必要がある。アリシアはそう考えているのだ。

 もちろん、金融のリテラシーを高めたところで地元に雇用がなければ住み続けることはできない。それも、ソフトウェアやコンピューターを専門に学んでいない人々でもそこそこ稼げるような仕事がないとサステイナブルになり得ない。

 そういった雇用をテック企業とどうやって作っていくか。そういった声をテック企業に届けるためにオープンな議論の場をどうやって作っていくか。それが課題だという。

 フェイスブックは地域貢献のため、イーストパロアルトに1000万ドルを寄付した。また、ザッカーバーグ夫人はイーストパロアルトにプライベートスクールを作り、抽選で選ばれた貧困層の子供に一部無償で提供している。

 だが、「彼らにできることはもっとあるはず」とアリシアは語る。フェイスブックの2017年度の純利益は159億ドルだった。雇用創出というポジティブ面とコミュニティの危機というネガティブ面を相殺すればプラス・マイナスどちらなのだろうか。