昔はシリコンバレーの「ゴミ捨て場」

【午後1:30 市役所】

 シリコンバレーの貧困地区、イーストパロアルト。その苦難は自治体として独立する前から刻み込まれていたといっても過言ではない。

 このエリアはもともとサンマテオ郡の非法人地域。これは郡の一部だが、どの基礎自治体にも属していないエリアのことだ。すべての地区が市町村に属する日本とは異なり、米国には基礎自治体に編入されていない地区が存在する。

 それが影響したのかもしれないが、イーストパロアルトの海沿いには、産業廃棄物処理場や殺虫剤工場など、いわゆる迷惑施設が集積していた。そんなところにわざわざ住むのは低所得者くらいのもの。実際、市として独立するまでは低所得の黒人コミュニティとして恐れられていた。

 シリコンバレーのゴミ捨て場――。そんなイーストパロアルトの住民が自分たちの“政府”を作ろうと思った理由を突き詰めれば、自治への渇望だ。独立前の1970年代に遡る。

 産業廃棄物処理場には有害な廃棄物が持ち込まれていたが、規制強化を求めても郡直轄のため住民の声が届きにくい。また、彼らが暮らすアパートの大家はイーストパロアルトには住んでおらず、建物の管理や修繕はおろそかになりがち。それでいて、毎年のように家賃が上がるため、自分たちで自分たちのための住宅を作りたいと考えたこともある。

 さらに、警察という要素も大きい。サンマテオ郡の中でイーストパロアルトは貧しい黒人が住む貧困エリア。過度の取り締まりなど警察による差別を感じる住民は多く、その中で自分たちの自治体を作り、自分たちの警察を持とうという機運が盛り上がったのだ。もちろん、その背景には公民権運動の余熱もある。

 「自分たちの町の将来を自分たちでコントロールしたかったということだと思います」。同市のシティマネジャー、カルロス・マルティネスはこう振り返る。自治を求めた黒人の動きに急速に増えていたメキシコ移民も合流、最終的に市として独立することに成功した。1983年のことだ。

 当初、新しい町の名前は「リトル・ナイロビ」が有力候補だった。だが、住民投票の結果は「イーストパロアルト」。ヒューレッド・パッカードやパロアルト研究所などパロアルトのハイテクイメージに将来を重ねたであろうことは想像に難くない(パロアルトはサンマテオ郡ではなく、マウンテンビューやクパチーノと同様のサンタクララ郡で別の郡)。

シティマネジャーのカルロス・マルティネス。かつては市再開発の担当者としてショッピングセンターの開発に奔走した(写真:Retsu Motoyoshi)

 もっとも、イーストパロアルトはすぐに厳しい現実に直面した。元ゴミ捨て場だっただけに、税収の基盤となる企業や商業集積が乏しいという問題だ。

 実際に地図を眺めると、工業団地やオフィスビルは隣のメンロパークに集積しており、イーストパロアルトは大半が住宅地ということが分かる。海沿いに空いている土地があるにはあるが、基本的に産廃処理場の跡地。企業を呼び込むには土壌改良が不可欠だが、税基盤に乏しい町にそのための財源はなかった。ちなみに、プレジデントが住むRVパークは元処理場の一角にある。

 市として独立した当時、最大の納税者は市庁舎の横にあるマクドナルドだった。その状況を変えようと関係者は奔走したが、それは町を作り替える作業に等しい。結果的に長い道のりになった。

 その象徴は、ホームデポやターゲットなどが入居している国道101号線沿いのショッピングセンターだ。

 この場所にはもともと高校と住宅地があったが、税基盤を強化するためには大型の商業施設が必要という判断の下、数千人の住民の立ち退きを進めた。この開発を主導したのは、イーストパロアルト再開発局のディレクターだったカルロス自身である。「今では消費税の75%はショッピングセンターからだ」。

 その後もショッピングセンターの隣のイケア、国道101号線の反対側にあるフォーシーズンズホテルの誘致など再開発を推し進めた。イケアのオープンは2003年、フォーシーズンズホテルの開業は2006年だから、独立から20年かかったことになる。

 また、低所得者向けの住宅整備にも力を入れた。手頃な賃料を維持するため、家賃を一定のレンジでコントロールする条例を成立させた。さらに、治安改善のため、2000年代半ば以降は連邦や州と協力してドラッグの売人やギャングを徹底的に取り締まった。最近は懸案の汚染土壌対策やインフラ整備にも着手している。

 テックブームの中で、ようやく近隣自治体と同じようにテック企業やスタートアップを誘致できる状態になりつつあるイーストパロアルト。だが、今度は家賃の高騰とホームレスの急増という別の問題に悩まされている。