この声は、ヒギンズにパワーを与えている。

 他の2つの学校と校舎をシェアするようになって以来、ヒギンズとP.S.125は常に譲歩を迫られてきた。だが、体育館が一部使用可能になるなど変化も見られる。保護者の声が大きくなるとともに、市当局や他校に対する交渉力が増したのだ。なぜ学校の施設を他校に取られたのか。生徒数の減少ももちろんだが、保護者が無関心だったことも大きい。

 そして、教師も変わりつつある。

変わり始めた教師

 6月2日、1年生の授業では4つのグループに分かれてピザを作っていた。あるグループは生地を練り、別のグループはトマトソースやチーズなどのトッピングを乗せている。あるグループはランチョンマットのデザインを描き、別のグループは会計係としてお金を数えていた。ピザ屋の営業を通じた読み書きソロバンのレッスンだ。

テスト対策ばかりだった授業は様変わりした。写真はピザ屋の営業を通した読み書きソロバンの授業(写真:Retsu Motoyoshi)

 「6年前にこの学校に来たとき、私は6歳の子供に1週間で5種類のテストをやっていました。でも、昨年からは一度もテストをしていません。授業は遊び形式で、2人のアシスタント教員と生徒の状況を見ながら進めています」。1年生を担当しているサラ・ランドンはそう語る。

 これまでの学校現場は既存のカリキュラムをどう教えるかというところにフォーカスしていた。それはテストをベースにカリキュラムが作られているからであり、大学の教員課程でも「どう教えるか」を厳しく指導される。ランドンも大学でカリキュラムに沿った教え方をたたき込まれた。それだけに、マインドセットや染みついた教え方を変えるのは難しい。アレンなど、ほかの教師たちの授業を研究したり、外部の研究者に教えを請うたり、日々プログレッシブ教育に最適なプログラムや教え方を学んでいる。

 「自分で考えた授業で生徒が成長する姿を見るのはとても楽しい。正直、仕事量は増えていますが、パズルのピースをつないでいるようで楽しいんです」

 ランドンのように変化に対応している教師がいる一方で、苦しむ教師もいる。

 「私を含めシニアの教師には大きな変化」とブラットマンが打ち明けるように、これまでの教え方に慣れた教師にとっては間違いなく試練がたちはだかる。それでも適応しようとしているのは、結果としてテストの点数が改善するなど、プログレッシブ教育が成果を出し始めているからだろう。ヒギンズは言う。

 「私が校長になったばかりの頃、学年に相応しい読み書きができる子供は23%でしたが、今では44%です。算数のテストで州平均を上回る生徒も37%でしたが、54%になりました。もちろん、この学校は学力を成功の基準にはしていませんよ。子供が笑っていたり、勉強を楽しんでいる、親も幸せに感じている、そうした姿を見ると、自分たちのやっていることが正しいと感じます」

教育の成果とは何か

 昨年9月に始まった新学期、P.S.125に入学を希望する子供のウェイティングリストは200人近くに上った。その前の6月に開催した学校説明会の時も、保護者がハンバーガーやTシャツなどを販売するなどして8000ドルを調達した。60ドルしか集まらなかった時とは雲泥の差だ。

 目下の課題は生徒の増加に伴うスペース不足だ。また、このままジェントリフィケーションが進めば、住み続けていた貧困層が押し出されるという批判もある。地域の小学校として地元の貧しい子供に、いかにして門戸を開き続けるか。いずれ、新たな困難に突き当たることになる。だが、ヒギンズが言うように、P.S.125は正しい軌道に乗っている。

 学力の低下と教育改革の槍玉に挙げられてきた公教育。米国を筆頭に、教育に成果を求める声は根強い。事実、トランプ政権と共和党は「スクールチョイス(学校選択)」という掛け声の下、チャータースクールや私立校を後押ししている。

 財源が限られる中で投資に対するリターンを求めるという思想は理解できる。では、教育の成果とは何か。学力の向上なのか、生きる力の構築なのか。あるいは、民主主義を支える優れた市民の育成なのか、それらすべてなのか。答えは人間の数だけ存在する。その中で、公立校が果たす役割は何か。ハーレムの落ちこぼれ学校は一つの答えを示している。