P.S.125の校長になる前、ヒギンズはブルックリンの小学校で教鞭を執っていた。同じニューヨーク市内でもマンハッタンは世界の中心である。教育環境も整っていると思っていたが、実際に赴任して愕然とした。設備のシェアは仕方がないとしても、予算不足で体育や音楽、美術の教師はおらず、授業は英語と算数のテスト対策が中心。保護者は学校に無関心なのに、成果ばかり求めてくる。

 「学校の士気は完全に低下していた」(ヒギンズ)

6年前にヒギンズが校長として赴任した時、学校は崩壊の危機に瀕していた(写真:Retsu Motoyoshi)

教育改革の発端はレーガン政権

 なぜこのような状況になってしまったのか。それを理解するには、米国の公立学校が置かれている状況と、教育改革の歴史をひもとく必要がある。

 レーガン政権下の1983年、「A Nation at Risk(危機に立つ国家)」というタイトルの報告書が出た。「われわれの国家は危機に直面している」。そんな衝撃的な書き出しで始まる報告書は、SAT(大学進学適性テスト)の悪化や読み書き能力の不足など、米国の学力低下と教育の荒廃を白日の下にさらした。

 「公教育の質が余りにひどく、敵国からの攻撃と同等だという指摘でした。この報告書をきっかけに、米国の教育に問題があるという意識が広く共有されるようになったんです」

 ニューヨーク市立大学ブルックリンカレッジ教授(教育学)のピーター・タウブマンはこう語る。その後、レーガン政権は教育改革を国家戦略に位置づけた。それ以降の政権も、教育改革を政策の柱に据えている。

 その方向性は、大きく言うと、学校に対する競争原理の導入とテストによる学校評価。その一翼を担ったのはチャータースクールである。チャータースクールとは公立の一種で、補助金を受け取るが運営自体は民間企業やNPO(非営利組織)という形態を取る小中学校のことだ。全体の生徒数は140万人と公立の5%に満たないが、90年代以降、チャータースクールに通う生徒は右肩上がりで増えている。

レーガン政権以降、教育改革は米国の最重要政策の1つになった(写真:Wally McNamee/CORBIS/Corbis via Getty Images)

競争原理とテストによる学校評価

 もう一方のテストによる学校評価は、生徒の成績に対して学校と教師の説明責任を問うという90年代以降の動きがベースになっている。

 ジョージ・W・ブッシュ政権は全国一斉学力テストを義務化、成績によって学校や教師にペナルティを科す「落ちこぼれゼロ法」を導入した。オバマ政権は「Race of the Top(頂点への競争)」というプログラムを採用した。これは成果を出した州に手厚く補助金を分配するという政策だ。結果的に、テストスコアが低迷した学校は教師の入れ替えやチャータースクールへの転換を余儀なくされた。

 現在のトランプ政権も、基本的に過去の政権を踏襲している。教育長官に就任したベッツィ・デボスはチャータースクールやバウチャー制度の強力な推進者だ。

 バウチャー制度とは公立に通う低所得者の生徒を対象にクーポン券(バウチャー)を支給、チャーターや私立の学校を選べるようにするもので、新自由主義の生みの親、シカゴ大学のミルトン・フリードマンが提唱した。それ以来、共和党が掲げる教育政策の主要パーツとなっている。

 競争原理とテストによる学校評価――。これは米国の教育改革を貫く背骨と言っていいだろう。