格差の拡大が深刻な米国だが、その背景には教育の問題もある。裕福な家庭の子息は教育プログラムが充実した学校に通い様々な経験を得る。一方で貧困地区の公立学校は予算不足で教師の数さえ満足でなく、生徒はテスト対策に追われている。その中で努力して成功をつかむ子供はもちろんいるが、幼少期における教育の機会の不平等はその後の人生に大きな影響を与える。

 米国は1990年代以降、公教育に競争原理を導入する改革を進めてきた。予算が限られる中で最大限の成果を出すという目的は理解できるが、教育の成果をどこに求めるかは人によって異なる。テストの平均点を上げるのはもちろん重要だが、それだけで子供の可能性が開けるとは限らない。教育改革の中で劣後し、テストを捨てたニューヨーク・ハーレム地区の小学校の軌跡を追う。(敬称略 ニューヨーク支局 篠原匡、長野光)

※2017年7月21日に日経ビジネスオンラインで掲載された記事を加筆修正しました(肩書きやデータは当時)
日経ビジネス_「教育改革のリアル」

 米ニューヨークの有名な貧民街「ハーレム」。その123ストリートとモーニングサイド・アベニューの角にある市営公園では、毎朝8時になると子供たちの声が響き渡る。ある子供は滑り台やモンキーバー(雲梯)などの遊具で遊び、別の子供は大人とバスケットボールに興じている。授業が始まるにはだいぶ早く、公園の外では職場に向かう人々が行き交っている。

 なぜこんな早い時間に子供たちが遊んでいるのか。実は体育の授業の一環だ。校舎の中の体育館が自由に使えないため、授業が始まる前の時間を利用して体を動かしているのだ。

マンハッタン・ハーレム地区にある公立小学校「P.S.125 Ralph Bunche」(写真:Retsu Motoyoshi)
マンハッタン・ハーレム地区にある公立小学校「P.S.125 Ralph Bunche」(写真:Retsu Motoyoshi)

体育館もなければ図書室もない小学校

 公園の隣に建つ公立小学校、「P.S.125 Ralph Bunche」。この学校は高級住宅街として知られるアッパーウェストの北隣にあるが、その周囲には低所得者向けの公営住宅「プロジェクト」が林立している。ここに通っている生徒は貧困層の子供が多く、ランチ無料プログラムを受けている子供は全体の7割に達する。全校生徒267人の内訳を見ても、アフリカ系米国人(黒人)が40%、ラティーノ(ラテン系米国人)が35%とマイノリティが大半だ。世界中の富が集まるニューヨーク・マンハッタン。その中にあって、貧困層の多いエリアである。

 この学校の生徒が自由に使えないのは体育館だけではない。子供たちがランチを食べるカフェテリアは使える時間が限られている。図書室がなく、特別なケアが必要な子供のための教室もないため、廊下の片隅でカウンセリングを実施することもしばしばだ。日本の公立小学校に当然のように存在する設備が、この学校にはない。

図書室を別の高校に取られたため、壁の空いたスペースを使って保護者が本棚を作った(写真:Retsu Motoyoshi)
図書室を別の高校に取られたため、壁の空いたスペースを使って保護者が本棚を作った(写真:Retsu Motoyoshi)

 なぜ当たり前の設備がないのか。それは校舎を他の2つの学校とシェアしているためだ。米国で生徒数を伸ばしている公設民営のチャータースクールと、コロンビア大学の付属高校が同じ建物を使用しており、その2校に施設の一部を奪われたのだ。P.S.125とチャータースクールは入り口が別だが、高校とは入り口も共有しているため、階段では小学生と高校生が行き交っている。

 「6年前に赴任した時は、とても不公平に感じました。体育館や図書館はもともとこの学校の施設だったのに、別の学校が入ってきたことで使えなくなった。他の学校との兼ね合いで、ランチの時間帯も変わってしまう。リソースをどんどん失っているという感覚でした」

 P.S.125の校長、レジナルド・ヒギンズは初めて学校に赴任した2011年のことを振り返る。

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