当然のように、マッカラ、ズーリック、シアラーの3人とも銃規制には反対の立場を取る。

 その根拠として挙げるのは、銃の所有を認めた合衆国憲法修正第2条だ。修正第2条はコミュニティ(州)が連邦政府に対抗する権利を認めたもので、そのための銃器の所有や携帯を連邦政府が侵害してはならないということを規定している。

 「建国の父は常設の軍隊を信用しておらず、ネイティブアメリカンや外国勢力の攻撃に対して市民の力を当てにした。武器を持つ権利を連邦政府が奪うのではないかという懸念もあった」。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)ロースクール教授、アダム・ウィンカーはこう解説する。

昨年10月には、ラスベガスで500人以上が負傷する銃乱射事件が起きた(写真:David Becker/Getty Images)

銃所有を認めた修正2条が生まれた経緯

 修正第2条はコミュニティ防衛のために義勇軍を組織する権利であり、個人の武装を認めたものではないという声もある。だが、「米国人の多くは自己防衛のために銃を持つ権利が与えられたと考えている。最高裁もそれが適切な解釈だと認めている」とウィンカーは言う。

 「連邦政府に対する抵抗権を確保するために州民の武装を認める」という発想は今の時代から見ると何とも異様だ。だが、それが米国の建国の歴史であり、米国人にとって警戒すべき相手は国内外の潜在敵だけでなく、連邦政府も含まれていたのだから仕方がない。

 連邦政府に対するスタンスの違い――。それは保守派とリベラルの断層としてしばしば表面化する。社会保障一つをとってみてもそうだ。

 社会正義を重視するリベラル層は医療保険への安価なアクセスはセーフティネットのために不可欠であり、それを実現するために連邦政府が国全体に網をかける必要があると考える。中央集権国家に住む日本人も、規模の大きな中央政府が手がけた方が効率的で効果的だと思うだろう。

 それに対して、保守派と呼ばれる人々は銃に限らず、州政府の権限に対する連邦政府の介入、言い換えれば規制強化に対して嫌悪感が強い。オバマケア(医療保険制度改革)を蛇蝎のごとく嫌うのも、保険に入る、入らないという選択を連邦政府が決めたことへの怒りが根底にある。

マージョリー・ストーンマン・ダグラス高校の銃乱射では19歳の元生徒がAR-15で凶行に走った(写真:Joe Raedle/Getty Images)

米国版「刀狩り」は可能か?

 もちろん、彼ら3人が銃規制に反対するのは憲法以前に恐怖もある。

 「犯罪者は銃を既に持っている。銃規制で取り上げられるのは私の銃だ。じゃあ、私はどうやって身を守ればいいんだ?」とマッカラは言う。ズーリックも「私は銃規制反対論者だが、頭のおかしいやつや犯罪者に銃を持てないようにするのは賛成だ。でも、どうやって見分けるんだ? そんな方法があるなら規制を歓迎するよ」と冷ややかだ。

 2012年の時点で、米国に出回っている銃は3億丁を超えていた。今では、その数もさらに増えているに違いない。その中で「銃のない世界」を実現しようと思えば、刀狩りよろしく一斉武装解除でもしなければ不可能だ。ただ、連邦政府がそれをやれば訴訟の山に見舞われるだろう。