津軽の尼僧イタコ

 岩木山の麓にある集落に、津軽イタコの田村明恵(71、仮名)を見つけることができた。地元部落ではイタコと呼ばれることは少なく、「オカミサン」などと呼ばれることのほうが多いという。

 「よう来たね」

 笑顔で迎えてくれた明恵は、気さくな雰囲気の老女である。

 明恵は普段は自宅を中心に、口寄せや祭事を行っている。旅行会社が催す「口寄せツアー」にも組み入れられているベテランのイタコだ。普段の活動範囲は弘前市内の集落である。賽の河原地蔵尊の例大祭の時にだけ、五所川原市に出張してくる。

 「35年間、この仕事をやっています。イタコになったきっかけは、20代の頃に原因不明の病気で死にかけた経験からです。救急車で運ばれた時、臨死体験をしました。その時、三途の川の手前まで行きました。この病気を治すのに10年かかりました。以来、目に見えないものを感じたり、見たり、聞こえたりするようになった。もともと観音様が好きでね、(東北地方の霊媒師である)『拝み屋』になろうとも思い、そのためには仏門に入ったほうがいいと考えました。1992年に得度をして、高野山に入りました」

 明恵が部屋の壁に掛けてあった額縁を指差した。それは、高野山真言宗の得度を受けた際に付与される「補権教師」の認定証であった。

 「私は真言宗の仏教儀式をベースにして、自分の霊感を頼って霊視をします。土地の問題も視るし、気候も占う。この辺りは農家が多く、今年は冷夏じゃないか、台風は来ないかと、みんな心配するから。頼まれれば、病気の原因も探るのよ。でも、浮気調査はやらない。トラブルを抱えてしまうからね」

 津軽イタコは江戸時代から、天候の予測を立ててきたことでも知られる。津軽の人々は、冷害をもたらす「やませ」で苦しめられてきた。江戸期の津軽地方は3年に1度の頻度で飢饉に見舞われ、多くが餓死した。そこで津軽の人々は、イタコをよすがとした。気象予報の精度が上がっている今日でも、イタコの気象予測を頼る風習が残っているのは驚きである。

 筆者は先出の松田と同様、母親の口寄せをしてもらうことにした。

 明恵は松田のように白法被は着用せず、仏教の袈裟をまとい、見た目は完全に「尼僧」である。

 「私の問いかけに答えてくれたらいいからね」

 そう言うと、蝋燭と線香を付け、おりんを鳴らすと、読経が始まった。

 《我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋痴 従身語意之所生 一切我今皆懺悔》(懺悔文)

 続いて密教の真言(呪文)を唱える。わずか1分後、明恵の声のトーンが変わった。そして、歓喜した様子で、

 「あら~、よく来てくれたわ! 私、嬉しくて、嬉しくて~。元気~」

 と、いきなり"母"が降りてきた。

 松田の時とは違い、随分、陽気な声で語りかけてくる。確かに、筆者の母親は明るい人だった。このハイテンションには少し戸惑いを覚えたが、すぐに返した。

 「今、どこで何をしているの」