オシラサマアソバセ

 ところでイタコの仕事は何も口寄せだけではない。松田は今、江刺家とともに、東北地方で途絶えつつある「オシラサマ信仰(オシラ講)」を復活させようという試みを続けている。

 オシラサマとは、桑の木を人型に彫った一家の守り神のことである。桑の木が使われているのは、桑の葉を食べる蚕の、繭を生産する能力に「家の繁栄」をなぞらえた、とする説が有力である。一見、こけしのような姿をしているが、基本的に男女の対になっていて、衣装が着せてある。現存する最も古いオシラサマは、岩手県洋野町にある室町末期のものだという。

 『イタコとオシラサマ』(加藤敬著、学研)によれば、オシラサマは特に三陸海岸沿いに多く、例えば岩手県陸前高田市では1990年に実施した調査で、オシラサマが確認されたのは102軒に及ぶという。だが、同市は2011年の東日本大震災で甚大な津波被害を受け、市街地は壊滅。かの大震災が、かれこれ400年以上も続く東北の民間信仰に大きなダメージを与えた側面はほとんど知られていない。

松田の自宅に祀られていたオシラサマ

 オシラサマを年に数回、一族の女性達だけで「遊ばせる(供養する)」神事が「オシラサマアソバセ」である。このオシラサマアソバセの祭司を担ってきたのがイタコであった。南部地方の場合、1月、3月、9月、12月のそれぞれ16日に実施する。

 この日は供物を備え、イタコがオシラサマを両手に持ちつつ、上下左右に振りながら、今度は「神様」を降ろしていく。そうして、イタコとオシラサマ、そして遺族の女性達も一体となり、「遊ぶ」のだ。このオシラサマアソバセによって、一族の無病息災、家内安全、家業繁盛などが祈願されるのである。

 だが、近年はすっかりこの伝統儀礼が廃れてしまっている。江刺家の調査によれば、ここ南部地方では20年以上も前からイタコによるオシラサマアソバセが行われた事例は見当たらないという。

 オシラサマアソバセは独自の祭文を使用する。この祭文を唱えられるイタコが少なくなってきたことが衰退の要因だ。そのため、松田は2006年、古い文献を読み解いてオシラサマアソバセの祭文を修得。現在は、東北の伝統を伝えるイベントなどでオシラサマアソバセを実演しながら、古き佳き伝統を復権させるべく、挑戦を続けている。

イタコにすがる震災遺族

 さて、松田の口寄せのシーンに戻ろう。筆者は松田と分かれる際、

 「死後世界はあると思いますか」

 と尋ねた。

 松田は少し間をおいて、明確に答えた。

 「間違いなく存在すると思います」

 2011年3月11日の東日本大震災後は、遺族からの依頼で犠牲者の口寄せをすることも多かった。松田は旅館などの宿泊施設に出張して、口寄せを行ったという。非業の死を遂げた肉親の声を聞きたい、行方不明のままの親族が成仏できているのか知りたい――。すがる思いでイタコの口寄せに耳を傾けた被災者は確かに存在した。

 それも震災から6年が経過し、今では震災がらみの相談は減ってきた。

 「振り返れば、親しい人を亡くし、住むところもままならない状態で、被災者の方々は憔悴し、避難所でもぎすぎすした空気が流れていました」

 死を受け入れられなければ心も体も荒んでいく。死者との対話を通じ、遺族は少しでもストレスを取り除くことができれば。

 「私は地域の相談役」

 若きイタコの挟持を見た。

(後編に続く)

※本記事は、2018年2月22日刊行の書籍『「霊魂」を探して』(鵜飼秀徳著、KADOKAWA、1600円)より一部を再編集したものです。