約20分に渡る"亡き母"との奇妙な再会であった。母の霊魂がイタコの霊力によって「あの世」から降りてきて、イタコに憑依し、私の前に現われてきたというのだろうか。

 筆者は松田に対し、

 「どのようにして母の霊魂を降ろしたのか」

 と尋ねた。

 「呪文が終わって歌に入ると、ふっと言葉が降りてきた。人によって違うけれど、仏様(霊魂)の姿が見える場合と見えない場合がある。今回は見えなかったかな。霊というより、言葉としての死者の姿を見る。私は、降りてきた言葉を、そのまま無意識に伝えるだけ」

 松田によれば、口寄せが始まると、次第に「無」の状態になっていくという。そして背中がぞくぞくし始め、地面から何かが白法被をつかみながらよじ上ってきて、ある瞬間、スイッチが入ったように霊魂と繋がる(松田は「仏が降りてくる」との表現を使う)のだと説明する。

 「口寄せが終われば、どっと疲れが押し寄せます」

「私は、宗教者ではない」

 さて、口寄せを終えて筆者の感想を述べたい。

 全体的にはやや抽象的な文言に終始した印象を受けた。しかし、話す内容は事実から大きく外れてはいなかった。筆者しか知り得ない事柄も、一部、符合したのには、ちょっと驚いた。

 「体があちこち痛んで、胃腸炎かなと思っていた」「最後にひと言言い残してあの世に往きたかった」「夢に出てこない」という部分だ。確かに、母には胃がんであると告知はしておらず、最初は胃腸炎ということで入院していた。また、母は「最期の言葉」を残していなかった。筆者が寝ている時、夢に出てきた記憶もない。

 一方で、松田が随所で発した亡き母の、筆者やその家族に対する「呼称」があいまいな印象を受けた。母の筆者に対する呼び方(筆者のことは、いつも「ちゃん」づけで呼んでいた)が、正確であったなら……筆者は、号泣していたかもしれない。

 だが、この日、イタコを介して在りし日の母を思い浮かべ、対話することができたのは事実だ。その時間は、とても温かく、充実したものになった。

 松田はこうも話した。

 「私は、宗教者ではない。イタコは宗教者だと言う仲間もいるけれど、私はそうではありません。地域の相談者と思っていただければいい」

 イタコの多くは口寄せや祭事などの仕事のことを「商売」と割り切る。だが、イタコが扱うのは「死後世界」であり、その点は宗教者と変わらない。

 「例えば、自殺や事故死の場合や、幼い子供さんを亡くされた場合など、遺族はその死を受け入れることは到底、不可能です。多くの方が、相談できる者もいない状態で、私のところへいらっしゃいます。その時、降りてきた仏様に対し、遺族と仏様は、なぜ死ななければならなかったのか、などと問答されます。故人との対話を通じて、遺族は心の整理がつき、死を受け入れられることがあります」

 一方で、口寄せがうまくいかないこともあるという。例えば、亡くなって、百カ日を経過していない若い霊魂を呼び寄せるのは難しい、と言う。

 日本の伝統仏教は、死者の霊魂は没後、四十九日(満中陰)をもって極楽へ到達すると唱える(一部宗派は異なる)。一方で、百カ日までの霊魂はまだ不安定という説もある。これはかつて土葬時代の葬送に由来する。土に埋められた遺体は、100日ほどで肉体が完全に白骨化する。この「百カ日」のタイミングで、霊魂が肉体から完全に離れ、「あの世」に往くというのだ。

 松田が言う「百カ日を過ぎないと、仏様を降ろせない」というのは、まだ霊魂を呼び寄せる状態にないからである。

 地域の住民らが「供養」のためにイタコに口寄せをしたもらう場合、そのタイミングは一周忌、三回忌などの年忌法要に合わせることが多い。その後は、七回忌、十三回忌…と続き、二十三回忌あたりでイタコの口寄せは終了する。

 こうした死後、あまり時間が経過していないケースの他に、ペットや、親族以外の他人(歴史上の偉人や、著名人など)の口寄せ、あるいは行方不明者の捜索、未来予測なども「不可能」だという。

 たまにテレビのオカルト番組などで、イタコと称する人物が出演し、「未解決事件を追う」「マリリン・モンローの魂をイタコに降ろしてもらう」などという企画があるが、松田によれば、正統なイタコはそんなことはしないという。

 松田と出会うまでは、筆者はイタコを近寄り難い呪術師のように考えていたが、実際、口寄せを体験してみて、イタコは地域に密着した「死についてのカウンセラー」だという思いを強くした。