阪神大震災では「ゼロ」

 東日本大震災における霊魂現象について、現地に入った多くの僧侶の見立てを紹介してきた。では、ここで大量死を招いた過去の大災害では同様の幽霊報道があったのだろうかという疑問が湧いてくる。例えば、1995(平成7)年1月17日に発生した阪神大震災での幽霊報道はどうだったのか。

 同じく記事検索システムを使用し、検索媒体を東日本大震災での記事検索同様に全国紙、NHK、さらに地方紙を神戸新聞と大阪日日新聞におきかえて検索して見た。すると6年間で「幽霊」に関する記事は、驚くことに「ゼロ」であった。

 東日本大震災と阪神大震災で、この数字差は何なのか。同じ大量死の現場なのに、東北では175件、阪神では0件である。ちなみに死者数(直接死)は、東日本大震災では1万5893人(2016年12月時点、警察庁調べ)に対し、阪神大震災は5516人。東日本大震災のほうが3倍も多いが、その後の霊魂報道が175:0というのはかなり極端な差であると言わざるを得ない。

 筆者は阪神地方に向かい、22年前の阪神大震災の現場において、供養・鎮魂などの宗教儀式を行った兵庫県内の5人の僧侶に会って当時の話を聞いた。

 浄土宗兵庫教区の西鏡寺の住職、生水康昭(61)は震災当時、兵庫県内の浄土宗青年会の会長をしており、被災地を回ってボランティア活動を行った経験を持つ。家の下敷きになって亡くなった現場での供養や、先出の金田諦應のように「鎮魂行脚」を有志で行ったという。

 「当時、『ここで亡くなった方がいるから、回向してもらえますか』という依頼はよくありました。しかし、幽霊が出るからお経を唱えてほしい、というようなことは一切なかったですね」(生水)

 神戸市東灘区の阿弥陀寺住職、土佐公行(55)も、当時の修羅場と化した震災直後の葬送の現場を振り返る。東灘区は同区だけで2000人にも上る死者が出た場所でもある。

 「うちは檀家が10人亡くなり、また、遺体安置所での供養などでかなり忙殺されました。私は遺体安置所になっていた神戸商科大学の教室や、生協が持っていた体育館などに足を運び、枕経をして回りました。引導を渡すだけの簡単なものでしたが、大変でした。でも、霊魂に関する話は一切出なかったな。せいぜい、遺体の身元が判明し、安置所から全て遺体が搬出されてから、お清めの儀式をしにいったくらいなものです」

 東灘区の中勝寺住職の藤井俊宏(41)は当時19歳だった。震災によって寺は全壊したという。しかし、やはり霊的な話は、また聞きやうわさも含めて、これまで一切、聞いていないと話す。藤井は、東日本大震災と阪神大震災との「差」について、首を傾げつつ、

 「阪神大震災の場合は、多くは家の下敷きになって亡くなったが、発見が早かった。東北は遺体がなかなか見つからず、本人確認もかなり時間が経過したでしょ。火葬が追いつかず、土葬もありましたね。私も東北の被災地も入りましたが、印象として阪神のほうが鎮魂、供養などの宗教活動が活発だった印象があります。ちゃんと供養ができていないと、幽霊になって現れることもあるのではないでしょうか」

 と話してくれた。

 東灘区の伊藤省吾(45)は、「震災では私の父が自坊の裏堂で亡くなりました。また、21人の檀家さんも犠牲になりました。寺の周囲でもたくさんの方が亡くなった。しかし、幽霊が出た、誰もいないのに物音がした、などという話は噂レベルも含めて一切聞きませんね。一部の檀家さんから『亡くなった人が夢に出てきた』くらいのささいな話はあったかな」

 西区の法泉寺の山口明浩(46)も同様に

 「霊魂に関する話は聞いたことがない」

 という。山口は阪神大震災がらみの鎮魂活動の経験はないというが2001(平成13)年7月、死者11名を出した「明石花火大会歩道橋事故」後の供養には参加しているという。

 「歩道橋はまだ残っていますが、この歩道橋でも怪奇現象があったというような話は聞いたことがありません」

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