「お迎え」と「依り代」
霊魂現象やお迎え現象について、科学者の見解はどうなのだろう。筆者は臨済宗林香寺の住職で、精神科・心療内科の医師でもある川野泰周(36)の元を訪れた。
川野は横浜市磯子区の寺に生まれ、慶応義塾大学医学部を卒業。その後は精神科医として、診療に従事しながら2011(平成23)年には建長寺専門道場に入山。3年半に渡る厳しい禅修行を経て、2014(平成26)年から自坊の住職を務めている。寺務の傍ら、都内と横浜市のクリニックで診療にも当たっている。うつやPTSD、神経症などに対して、マインドフルネスの実践を取り入れた心理療法を行い、著作もある。
その川野の元にも、檀家から「お迎えがあった」などの報告がしばしば寄せられる。体験談には共通項があるという。それは動物などを「依り代」としたお迎えだ。
例えば臨終の際、ふいに昆虫が室内に入ってきて電球の傘のところに留まったとして、それを遺族が「お迎え」として認識する。先術の例に比べれば、ささやかな「お迎え」ではある。しかし、川野は、医師としての見方を示してくれた。
「心理学的に言えば、遺族は死に何らかの"意味づけ"をしたくなるものです。つまり、動物や昆虫の行動、あるいは自然現象とお迎えを結びつけるのです。私が聞く限り、お迎えの主体は、普段の生活の中で『よく目にするもの』が多い。動物や昆虫などの行動をとらえて、臨終の前に私たちに何かのメッセージを残してくれた、というのです。この"意味付け"は、時に寝ている時に夢に出てきた(夢枕に立った)、あるいは時に白昼夢という形で現れることもあります」
川野の解説を聞けば、お迎え現象は科学的、医学的に説明がつきそうなものだ。だが、川野は霊魂現象を完全に否定する立場ではないという。
「これはあくまでも医学者としての私の見解です。しかし、本当にスピリチュアルな存在がこうした現象を引き起こしている可能性を決して否定しません。『死の意味付け』は、医学的にも臨床宗教的にもとても大事な意味を持つからです。死に意味が付加されることによって、心の安寧が得られます。死にゆく人が、この世に生きた足跡を残してくれることは、残された者の心の拠り所になっていきます。ですから、お檀家さんからそうした相談を持ち込まれた時には、『そういうことがありましたか。それは亡くなった方がお別れを伝えにいらっしゃったのかもしれませんね』などとお答えするようにしています」
お迎え現象の、医師の見立てについてもう一例、挙げたい。
東北大学医学部教授で在宅緩和ケア医療のパイオニア・岡部健らは2002(平成14)年以降、「お迎え」についてのアンケートを実施している。調査では回答者541人のうち226人(42%)もの人が何らかのお迎えを経験していたとの、報告がなされた。
岡部自身、2012(平成24)年9月にがんで死去。その2カ月ほど前に読売新聞のインタビュー(6月28日付読売新聞夕刊、同7月1日付けYOMIURI ONLINEで詳報)でこう答えている。
「死ぬということは闇に降りていくことであり、道しるべもなく、真っ暗なところに落ちていくことのように思われますが、どうもそうじゃないようなのです。3000人が亡くなるのを見たから確信を持って言えます。精神医学的には『せん妄』(意識レベルの低下による認識障害)ということになりますが、本人には実体として見えている感覚です。『戦艦陸奥で爆死した兄がそこに来ているのに、なぜ先生に見えないの』などと言われます。そういう体験を受け入れて会話ができる家族は、良い看取りができます。まれには、お迎えに来た人に引っ張られて怖いという場合もありますが、大多数の患者は『お迎え』体験によって、死に対する不安が薄れて安心感を抱きます。(中略)『お迎え』体験は、しばしばオカルトと思われて、まじめに取り合ってもらえないのですが、私の法人の看護師はみんな見聞きしています」
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