本稿では、アンケート結果から「日本の僧侶の霊魂観」を読み解いていきたい。

 最初に、冒頭で紹介した東や中野のように、僧侶自身がどれだけ霊的体験をしてきたかを、聞いてみた(設問3-1)。

 結果、321人(39%)が「ある」と回答した。

 具体的な体験内容として、「偶然や科学では説明できない不思議現象」(106人)、「金縛りなどの身体異常」(105人)、「不可解な音や光に関する現象」(86人)、「死者の霊魂のようなものを見た」(77人)、「仏様、マリア様などの信仰の対象が現れた」(32人)、「その他(自由回答)」(53人)の順であった。

 死の臨床現場に関わる僧侶という職業柄だろうか。意外に多くの僧侶が、霊魂現象に接してきている事実が浮かび上がってきた。

「また誰か亡くなったか」

 さらに「その他(自由回答)」(53人)の項目で、記述回答してきたものに目を通していくと、興味深い「共通項」が存在することに気づいた。

 多くの僧侶が「死の予知」を経験していたのだ。つまり、檀信徒が亡くなったとの知らせが寺に届く前に、僧侶の身の回りで「死を知らせる何らかの霊的現象」が起きることである。

 佐賀県に住むある浄土宗僧侶は、こんな回答を寄せた。

 「夏のある日の夜、夢を見た。誰かが亡くなり、ご自宅に伺って枕経(臨終後、すぐに遺体の前で読経すること)をしているところでした。翌朝、実際にその檀家さんが亡くなったとの知らせを受け、枕経に駆けつけると夢の中で見た部屋と、全く同じ部屋でした」

 埼玉県のある浄土宗僧侶は、数年前の出来事として、

 「来客用の玄関ブザーが鳴って外に出ても誰もいない。しばらくして、檀家さんの訃報が届けられました」

 と明かした。

 先述の栃木・光永寺住職・中野憲章も、「死の予知」はしばしばあると語る。

 中野が幼い頃から経験しているのが、寺の玄関の戸を叩く音である。風雨もなく、明らかに人間が戸を叩く音だ。すると、中野はピン、とくるという。

 「また誰かが亡くなったか」

 するとほどなく、寺の電話が鳴る。案の定、檀家や村の誰かが亡くなったという知らせだ。

 兵庫県内に住むある住職は、「娘の経験談」として、このような逸話を紹介した。

 「私の母が亡くなる2、3日前のことです。娘が夢の中で、母(娘にとっては祖母)のお通夜のシーンを見ました。夢は『通夜振る舞い』の席の場面に移り、なぜか、そこに母自身もいて『楽しい』と笑っていました。そしてその後、間もなく、実際に母が亡くなったという知らせが実際に届きました。娘が通夜に参列すると遺影の服装と、夢での母の装いが同じだったため娘はとても驚きました。私たち親娘は離れて暮らしているため、遺影のことは何も知らされていない。母は孫の中でも娘を一番可愛がっていました。何とも不思議な思いがしました」

 こうした、死の予知は、「夢」や「音」などを媒介にすることが多いようだ。だが、「亡くなった直後の本人が、死を告知してきた」との報告も筆者に寄せられた。

 ある高野山真言宗の僧侶は、先代住職から教えられた話、としながらも、こう打ち明けた。

 「先代が深夜読書している際に玄関のチャイムが鳴りました。出て見ると知り合いの檀家の方が立っている。『どうしましたか』と話すと『近くに立ち寄ったら、お寺の電気が付いていたから立ち寄った』と話され、帰られました。翌朝、電話が鳴ってその方が病院で亡くなられたとの話を聞いた。檀家さんが亡くなった時刻が寺に来た時間と同じ頃でした」

 こうした死の予知と似たような現象として、「お迎え」がある。お迎えは、亡くなろうとしている人が、先に逝った人(多くは両親などの肉親や親しかった友人)を目撃することである。亡くなる数日前に、本人から「お迎えが来た」などと教えられるケースもあれば、看取りを行なった親族や医療関係者らがその様子から「明らかにお迎えが来ているようだ」などと客観的に判断する場合もある。

 お迎え現象の体験談は、葬式の後、遺族である檀信徒から、エピソードとして菩提寺の住職に持ち込まれることがある。

 「檀家から『お迎えがあったようだ』、などとの報告は一度や二度ではありません」(東京都文京区の浄土宗寺院住職)。

 僧侶は「死を看取る」という特性上、お迎えを目の当たりにするケースが多いと考えられる。

 近畿地方に在住の、ある住職は実父にお迎えが来た時の様子を明かした。

 「先代住職である父が、晩年、認知症を患い会話が成立していなかったにもかかわらず、亡くなる直前に、はっきりとした口調で『お迎えがきたから、私は逝く』と告げられた」

 この場合、話のニュアンスから、この際の「お迎え」に来た主体は、菩薩などの「信仰の対象」と思われる。