大阪・萱島駅のクスノキ伝説

 現代社会において、都市開発と祟りを巡る事例は大手町の将門の首塚だけではない。

 大阪府寝屋川市にある京阪電鉄萱島駅では、地上から推定樹齢700年のクスノキの大木がホームのコンクリートの床と天井を貫いて生えている。クスノキはガラス壁で覆われている。一切、クスノキを傷つけないように駅舎が建てられているのである。幹にはしめ縄がかけられ、「クスノキに寄せる尊崇の念にお応えして、後世に残すことにした」との看板が置かれている。

 1972(昭和47)年、京阪電鉄は高架複々線工事に着手、萱島神社のあった場所にホームが移動することになった。クスノキは伐採される予定だったが、住民運動が起きて保存されることになった。この際も、「ご神木を切れば災いが起きるかもしれない」などとの噂が立った。

 萱島駅のケースも将門の首塚同様、祟りを恐れての措置、と見ることができそうだ。鉄道会社は、常に人命を預かっている。仮にクスノキを切って、その直後に不慮の事故があれば、きっと祟りと結び付けられたに違いない。

萱島駅では、地上からクスノキの大木がホームを貫いて生えている。
萱島駅では、地上からクスノキの大木がホームを貫いて生えている。

 祟り信仰に詳しい、浄土宗大本山清浄華院執事の畦昌彦はこう解説する。

 「祟りを恐れ、祀ることを日本では御霊(ごりょう)信仰と言います。御霊というのは怨霊のこと。怨霊が荒ぶらないように神様として祀るのです。つまり、あえてステージを上げてやる訳です。一旦、神として祀ったものは、後世に渡って永続的に祀り続けなければならない。神様のステージに上がったものを、再びおろすようなことをした場合、祟られます。将門の場合も神として祀られているのだから、決して触ってはいけないのです」

 「御霊信仰」の大元は、奈良・桜井市にある三輪山だと伝えられている。山自体が大神神社のご神体で、日本最古の神社として知られている。

 第10代崇神天皇の時代、疫病が大流行した。ある時、三輪山の神様(大物主大神)が現れて、「疫病は私の意思である」と述べた。さらに大物主大神は「私の霊系につながる大田田根子を祀れ」というので、その通りにしたところ、疫病は収まったという。それが御霊信仰の始まりとされている。

 畦は続ける。

 「御霊信仰は平たく言えば、神様のお好みに合うように要望に応えるということです。だから放っておくと祖霊や神が、荒ぶるわけです。荒ぶらない前に先に手を打っておくというのが神社のお祭りであり、仏教で言えば、年忌法要に当たるのです。つまり、お祭りや年忌法要の本当の意味は、『良いことが起きる』というのではなく、『悪いことを未然に防止する』ということ。萱島駅に祀られているクスノキの場合も、そう。特に古木は周りのエネルギーを吸収し、意思を持ち始めるケースがあります。意思を持っているので、人間が切ろうとすれば、生き延びるために反撃にでます。人命を預かる鉄道会社は、クスノキは切るに切れなかったのでしょう」

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