喧騒に包まれた大都市で暮らしていれば、日常的に「カミ」や「霊魂」を意識することは難しい。だが、長年、「祟り信仰」を受け継いでいる場所が存在したり、日常的に「霊魂」に接している職業人がいたり、何かの拍子に霊魂と接点を持ってしまうケースがあったりする。都会に潜む「見えざる世界」をレポートする。
日本有数のビジネス街、東京・大手町では2020(平成32)年に開催される東京オリンピック・パラリンピックに向けて、大規模な再開発が急ピッチで進められている。
この地では高度成長期を境に、財閥系ビルや都市銀行、大手新聞社などの本社ビルが林立した。それが半世紀ほど経った現在、一斉に建て替えの時期を迎えているのだ。
再開発は街区ごとに連鎖的に実施される。既に竣工済みは、「丸の内ビルディング」「新丸の内ビルディング」「丸の内オアゾ」などの商業施設の他、「パレスホテル」「星のや東京」などのラグジュアリーホテル、「三井住友銀行」「経団連」「日本経済新聞社」などのオフィスビルなど、およそ30棟に及ぶ。あと数棟の商業ビルが建設中、もしくは建て替え計画中である。間もなく、大手町は真新しい超高層ビルが林立する世界でも屈指のビジネス街へと変貌を遂げることだろう。
この連鎖的再開発事業も、いよいよ最終段階に入りつつある2016(平成28)年夏、総合商社の雄、三井物産がこの地での建て替え工事の着工を発表した。建物の竣工は2020(平成32)年2月末の予定で、延べ床面積は36万平方メートルにも及ぶ。大手町でも最大規模を誇る巨大オフィスビルとなる。
三井物産本社と言えば、かつて、カルガモの親子が三井物産敷地内の人工池から皇居の堀へと移動する姿がマスコミによって報じられ、注目を集めたことでも知られる。だが、その池も既に工事現場に埋もれてしまった。計画では、皇居側に水辺空間を充実させるという。カルガモ親子の愛らしい姿が再び見られることを期待したい。
東京・大手町に佇む「将門の首塚」
さて、現地に掲げられた工事の完成後の配置図を見てみた。すると敷地の南側の一部が、虫に食われたかのように不自然にくぼんでいる。三井物産の敷地を俯瞰すれば「コ」の字になっているのだ。大手町全体が再開発される中、不自然にこの空間だけが、ぽつんと残されているのである。「平将門の首塚」である。
大手町にある将門塚。手を合わせる男性の前の「塚」は強化ガラスで保護され、さらに上部にもガラス屋根がかけられている。
首塚に手をつければ、将門の祟りに見舞われる――。
そんなまことしやかな噂が、大手町界隈に流れている。筆者は2017(平成29)年6月、建設工事の轟音轟く現場を歩いてみた。
そこは木々が鬱蒼と生い茂る15m四方ほどの空間だった。都内のオアシスのようにもなっており、昼時にもなれば束の間の休息を求めて立ち入るビジネスパーソンも多い。最奥の場所に目をやれば、1基の古い石碑が立っている。石碑には「南無阿弥陀仏」と揮毫されていた。
首塚の入り口に将門に関する逸話が書かれていた。
将門は平安時代に活躍した武将である。だが勢力拡大に乗じて「新皇」を名乗ったことで、朝敵となった。将門は討ち取られ、首級は京都で晒された。首が晒されて3日目のこと。将門の目がカッと見開いたかと思えば、白い光を放って飛び上がった。そして東方向に飛び去り、大地の鳴動とともにここ大手町の地に落ちたという。辺りは夜のように真っ暗になり、人々は恐れおののき、塚を立てて祀ったのが、この将門塚の由来だとされている。
将門のような、歴史上の人物の首塚は現在でも全国に数多存在する。だが、たいていは何事もなく静かに祀られ、その存在に注目が集まることはほとんどない。地域の開発などによって撤去されたり、移転されたりした例もある。
筆者の地元、京都の三条から五条にかけての鴨川の畔はかつての処刑場で、将門はじめ数多の武将の首が刎ねられ、さらされた。死肉を求めてカラスが空を舞い、腐臭が辺りに漂った。
だが、時を経て現在では、鴨川のせせらぎと、京都らしい町家建築物が見事に調和。うっとりとさせられる風情を漂わせ、川辺にカップルが等間隔に寄り添う。そこは数百年前、確かにかつての処刑場であった。当時は無念の思いが込められた"霊魂"も漂っていたかもしれないが、時空が変わればそんな、怨霊のようなものは微塵も感じられない。
京都市内を歩けば非業の死を遂げた者達の墓が多数残る。首塚も点在する。「本能寺の変」の後に討ち取られた明智光秀や、大坂夏の陣で自刃した豊臣秀頼などの首塚などだ。しかし、今ではよほどの歴史ファンでなければ、手を合わせに訪れる者はいない。
14人の不審死と強化ガラス
ところが、将門の首塚はどうだ。 忘れ去られるどころか、度々"生々しい"話が今なお、持ち上がる。近代に入っても「祟る」との噂が絶えないのだ。
将門塚のある大手町は明治以降、政治、経済の中心として発展した。節目節目で大規模開発が計画され、その都度、首塚を撤去しようとする動きがみられた。だが、施工主や工事関係者が事故や病気に見舞われるなどした。そうした災禍は「将門の祟り」とされてきた。
例えば、戦前、この地で行われた旧大蔵省の建設時のことである。大手町は明治時代、官庁街であった。当時、将門の首塚は大蔵省の中庭にあったが、関東大震災で省舎が崩壊した。そこで首塚の場所を更地にし、その上に仮庁舎を建設する計画が持ち上がった。
仮庁舎の工事が進む最中、時の大蔵大臣・早速整爾が急死する。さらに大蔵官僚や工事関係者ら14人が続々、不審な死を遂げたという。
「工事関係者が続々と不幸な目にあうのは、首塚を荒らしたからに違いない」
そんな噂が瞬く間に広がり、結局、仮庁舎は取り壊されることになった。首塚は復元され、再び祀られた。
次なる「将門の祟り」は、それから20年以上が経過し、戦後のことである。GHQの関連施設の工事の際に、首塚を撤去する計画が再燃した。
だが、その際にも重機が横転し、運転手らが死亡する重大事故が起きた。またしても将門の怨霊説が流れ、GHQの計画は白紙に戻った。その後も、何かと不慮の事故と将門の祟りが結び付けられ、都市伝説として定着していく。
そして21世紀。再び、この地が都市開発の時期を迎え、将門の祟り伝説が蘇ってきたのである。だが、今回は計画当初から首塚に手をつけようとはしなかった。果たして三井物産は将門の祟りを恐れ、開発対象から外したというのだろうか。
ちなみに首塚がある大手町1丁目界隈の公示地価は、1平方メートルあたり2500万円(2017年公示地価)を下らない。経済合理性を考えれば、首塚を移転し、商業用地に転用するのが自然かと思われるが、三井物産やディベロッパーはそうは考えなかった。
筆者は三井物産の建て替え計画が始まった頃、同社の担当者に対し、建て替え工事で、将門の首塚の扱いをどうするかを聞いた。その際、担当者はこのように述べた。
「神聖な場所であり、再開発には組み込まない。特段、将門の祟りを畏れてという訳ではない」
現在、将門の首塚は、工事の粉塵や落下物が落ちてこないようにするために、強化ガラスで覆われ、保護されている。関係各社は再開発と「祟り」とを結び付けたがらないようだが、「将門の祟り」を気にしている様子であることが、ありありと感じ取れた。
大阪・萱島駅のクスノキ伝説
現代社会において、都市開発と祟りを巡る事例は大手町の将門の首塚だけではない。
大阪府寝屋川市にある京阪電鉄萱島駅では、地上から推定樹齢700年のクスノキの大木がホームのコンクリートの床と天井を貫いて生えている。クスノキはガラス壁で覆われている。一切、クスノキを傷つけないように駅舎が建てられているのである。幹にはしめ縄がかけられ、「クスノキに寄せる尊崇の念にお応えして、後世に残すことにした」との看板が置かれている。
1972(昭和47)年、京阪電鉄は高架複々線工事に着手、萱島神社のあった場所にホームが移動することになった。クスノキは伐採される予定だったが、住民運動が起きて保存されることになった。この際も、「ご神木を切れば災いが起きるかもしれない」などとの噂が立った。
萱島駅のケースも将門の首塚同様、祟りを恐れての措置、と見ることができそうだ。鉄道会社は、常に人命を預かっている。仮にクスノキを切って、その直後に不慮の事故があれば、きっと祟りと結び付けられたに違いない。
萱島駅では、地上からクスノキの大木がホームを貫いて生えている。
祟り信仰に詳しい、浄土宗大本山清浄華院執事の畦昌彦はこう解説する。
「祟りを恐れ、祀ることを日本では御霊(ごりょう)信仰と言います。御霊というのは怨霊のこと。怨霊が荒ぶらないように神様として祀るのです。つまり、あえてステージを上げてやる訳です。一旦、神として祀ったものは、後世に渡って永続的に祀り続けなければならない。神様のステージに上がったものを、再びおろすようなことをした場合、祟られます。将門の場合も神として祀られているのだから、決して触ってはいけないのです」
「御霊信仰」の大元は、奈良・桜井市にある三輪山だと伝えられている。山自体が大神神社のご神体で、日本最古の神社として知られている。
第10代崇神天皇の時代、疫病が大流行した。ある時、三輪山の神様(大物主大神)が現れて、「疫病は私の意思である」と述べた。さらに大物主大神は「私の霊系につながる大田田根子を祀れ」というので、その通りにしたところ、疫病は収まったという。それが御霊信仰の始まりとされている。
畦は続ける。
「御霊信仰は平たく言えば、神様のお好みに合うように要望に応えるということです。だから放っておくと祖霊や神が、荒ぶるわけです。荒ぶらない前に先に手を打っておくというのが神社のお祭りであり、仏教で言えば、年忌法要に当たるのです。つまり、お祭りや年忌法要の本当の意味は、『良いことが起きる』というのではなく、『悪いことを未然に防止する』ということ。萱島駅に祀られているクスノキの場合も、そう。特に古木は周りのエネルギーを吸収し、意思を持ち始めるケースがあります。意思を持っているので、人間が切ろうとすれば、生き延びるために反撃にでます。人命を預かる鉄道会社は、クスノキは切るに切れなかったのでしょう」
では、仮に首塚やクスノキに手をつけたらどうなるのだろうか。
「殺されるか、怪我をするか。それは分かりません。しかし、何らかの形で祟られるでしょう。本音では、施主企業やディベロッパーは将門塚を潰してオフィスビルとして活用したいのでしょうが、それを最初に誰の号令でやるか、が問題です。つまり、最初に手をつけた者は、特に犠牲になる可能性があります」
三井物産や京阪電車の上層部が、将門やクスノキの祟りを恐れ、工事を避けたかどうかは分からないが。
話は少し逸れるが、似たような「祟り信仰」の例で、最近、私は興味深い話を耳にした。
地方の人口減少、高齢化などで激増している空き家問題に関することだ。なぜ、空き家が残り続けるのか、という文脈である。ある解体業者が、祟り信仰がネックになって、空き家を取り壊すに取り壊せない事情がある、と漏らしたことが印象に残っている。
「神棚の魂」を抜く
総務省の「住宅・土地統計調査」によれば、2013(平成25)年時点での全国の空き家の数は約820万戸(空き家率13.5%)。2033(平成45)年には2147万戸(同30.2%)に上るとの推計がある。
空き家が放置され続ける理由として一般的には、住宅を解体して更地になった場合、固定資産税が最大4.2倍に跳ね上がってしまうことや、現行の建築基準法施行以前の法律下で建設された建物でひとたび取り壊せば、再建築が認められない土地になってしまうことなどが言われている。
ところが、ある解体業者はこう明かした。
「古い住宅には神棚や仏壇が残されているケースが多いでしょ。それを、きちんと宗教儀式をし、魂を抜くか、鎮めるなどをした上でなければ、我々が軽々に建物の解体に着手することはないです」
神棚や仏壇には「魂」が宿っているとされる。神棚であれば神主を呼んで「遷座の義」をやり、仏壇は「性根(魂)抜き」をしなければ動かすことができない。空き家問題が解決しない隠れた理由に、宗教儀式を済ませていない神棚、仏壇が家屋の中に残っているからなのである。
しかし、仏壇や神棚もない、都会のスタイリッシュなマンションなどに若い世代のみで暮らしていると、死後世界に思いを巡らす、などということはあまりないかもしれない。空間的にも、同じことが言える。高度に近代化された都市部では昼は騒々しく、夜も煌々と明るい。都会で「霊」なるものを身近に感じることは正直、難しい。しかも、今は科学万能社会、即物主義社会である。
だが、東京・大手町のど真ん中で今なお続く、将門の怨霊伝説や、大阪のベッドタウンに位置する萱島駅の祟り信仰が残り続けているのもまた、事実なのである。
科学万能主義や都市化をもって、霊魂は不存在だ、とは言い切れなさそうである。
先出の畦は言う。
「都会でも隘路というものがあり、ちょっとした空間に霊魂がぐっと集約されることがあります。つまりパワースポットです。命あるものが活動している以上、どうしても霊魂と無関係でいることはできません」
「死後世界はある」40.8%
筆者はこれまでジャーナリストの立場で、現代社会と宗教との関係性や、日本人の死生観の変化などを取材してきた。現代人は、死後世界や霊魂をどのように捉えているというのだろう。
少し前の論文にはなるが、2003(平成15)年に曹洞宗総合研究センターが、一般人(曹洞宗の檀信徒)に向け、霊魂観を尋ねるアンケート調査を実施しているので、参考までに紹介したい。アンケートでは、「死者の存在」、「死後の世界」、「死者の行方」、「霊的存在」などの複数の項目を設けて聞いている。
死後世界の有無についての項目(回答数1123)では、「ある」と回答したのが40.8%、「ない」と回答したのが10.7%だった。「わからない」は44.9%、「無回答」3.7%だ。「死後世界がある」と信じる人のほうが、「死後世界などない」と考える人を凌駕している実態があるのだ。
続けて、「亡くなった人はどのような存在になるか」(複数回答可)との問いに対しても、同様であった。「ホトケとなる」が60.5%、「先祖の仲間入りをする」61.2%。一方で、「何もなくなる」が5.7%。多くの回答者が、人が亡くなって肉体は消滅しても、「無」ではなく、「別の存在」になると考えていることが分かる。
次に、「具体的に霊的存在とは何か」、という問いかけについては、興味深い結果が見られた。
「自然はいのちをもって生きている」が78.1%、「人間も自然の一部」が71.3%と、この2問については肯定割合が高かったのだ。多くの日本人が「霊的存在」を認めていることが分かる。
一方で、「では霊的存在は何か」との、具体性を帯びる設問になると、肯定派はとたんに減っていく。
「山や川、草や木にはカミが宿っている」(24.8%)、「田には田のカミがいる」(19.6%)、「稲には稲のカミがいる」(15.7%)、「動物をいじめたり殺したりするとたたりがある」(15.5%)、「自動車や船、飛行機などはおはらいをしないと事故が起こる」(12.4%)。
漠とした死後世界や霊的存在は認めるものの、では、どこにどういう状態で存在するのかと問われれば、「分からない」ということなのかもしれない。
供養や信仰を通して、普段から霊的なものに触れている人や、将門伝説のように祟りが企業リスクになってしまうような局面にある場合は、「霊的存在に対する畏敬」が芽生えることもある。だが、日常生活の中では具体的に霊的存在を意識することがあまりないのが実情だ。
このアンケートでは、「地球上のすべてのものは人間に利用されるためにある(と思うか)」との設問もあった。ここでの肯定派は3.3%だった。この世において人間こそが絶対主義的な存在であるとの問いに多くが否定的であったことに、筆者はひとまず安堵した。
なぜなら、昨今、「畏れ知らず」の事件が相次いでいたことに心を痛めていたからだ。
墓に、見知らぬ骨壺
神戸市西区の高速道路料金所で2013(平成25)年4月、ゴミ箱に入れられた火葬後の遺骨が見つかった。神戸市西署は後に親族の男性を死体遺棄容疑で書類送検した。
2015(平成27)年4月には、東京都練馬区のスーパーの屋外トイレで、人の頭蓋骨が見つかったとのニュースが流れた。同じく、骨は火葬後のものだった。当時、スーパー営業中で、不特定多数の客がトイレを頻繁に利用している。犯人は、処置に困った遺骨を遺棄して逃走したとみられる。いずれも、悪質極まりない事件だ。
遺骨の遺棄は、人目に晒される電車内でもしばしば行われている。網棚に骨壺を乗せ、そのまま置き忘れたフリをして去ってゆくのだ。火葬後の骨壷には、火葬許可証が入れられているものだが、置き忘れ遺骨は身元が分からぬように抜き取られている。だから、故意に遺骨を捨てていることがわかる。
「鉄道会社が、どこかの寺院に持っていってくれて無縁仏として供養してくれれば」
おそらく、遺棄者にはそんな故人に対する微かな供養心すら、持っていないのではないか。
毎日新聞2017(平成29)年9月9日付大阪版朝刊は、人の遺骨が2016(平成28)年までの3年間で落し物として全国の警察に計203件届けられ、うち8割以上の166件は落とし主が見つかっていないと報じた。最多は大阪府で36件。寺院や墓地で拾われたケースが多いが駅のコインロッカーや図書館に放置されたものもあったという。こうした引き取り手のない遺骨は警察から依頼された寺などで無縁仏として供養される。
遺骨の遺棄を"完全犯罪"に仕立てようとする輩もいる。
他人の墓の中に、勝手に"納骨"するのだ。私も間接的に、墓地への遺骨遺棄を耳にしたことがある。ある寺の檀家が四十九日法要を終えて納骨する際、納骨室を開けてみると、見知らぬ骨壺が入っていたというのだ。
人目に付きにくい大規模霊園では、墓参りを装えば、誰でも納骨は簡単にできてしまう。墓にカギでもつけておかない限りは、このような遺骨遺棄を防ぐことは難しいだろう。
骨壷を電車の網棚に置いてそのまま逃げ去る、スーパーのトイレで、汚物同様に遺骨を流してしまう。他人の墓を暴き、勝手に納骨する――。
そんな、カミやホトケも畏れぬニュースを聞くにつれ、即物主義の広まりとともに、死や霊魂の存在を信じられない社会が急激に広がってきているのではと、危惧を覚えてしまう。
だが一方で、将門の首塚をはじめとする怨霊信仰が未だに都市に根付いていること、各地に残される寺社仏閣に手を合わせに訪れる者が絶えないことも、知っている。
日本人のDNAの中には、見えざるものを感じる豊かな精神文化が生き付いていると信じたい。だが、普段の生活に忙殺されていたり、幸福感に浸っていたりする人は、死や霊魂に思いを馳せることは、あまりないかもしれない。
※本記事は、2018年2月22日刊行の書籍『「霊魂」を探して』(鵜飼秀徳著、KADOKAWA、1600円)より一部を再編集したものです。
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