「これほどの長丁場になるとは、正直言って思わなかった」。こう打ち明けるのは、鹿島の岡田伸哉所長だ。2011年3月の事故後、勤務先の柏崎刈羽原子力発電所から東京へ支援に駆け付けた。
そのまま東京電力などと打ち合わせを繰り返し、11年6月12日に福島第一原子力発電所に赴任。以来、3号機のがれき撤去や除染などを率いてきた。
岡田所長の5年間は、思い掛けないトラブルと対峙する日々だった。がれき撤去中に放射性物質が付着した粉じんが飛散して大騒ぎになったケースや、がれき撤去に使用していた大型クレーンが倒れてあわや大事故という場面も経験した。
岡田所長が最も印象的な出来事として挙げるのが、13年9月22日に起こったトラブル。建屋の上部で撤去していた鉄骨のがれきを、誤って使用済み燃料プールに落としてしまったのだ。
作業が3カ月間ストップ
がれきの撤去は、クレーンから吊り下げたアタッチメントを、モニターの映像を頼りに遠隔操作して進めていた。三次元モデルや模型を使って位置関係を把握したり、がれきの挙動を解析したりして、撤去計画を入念に練ってはいたが、それでもトラブルは起こった(図6)。
鉄骨がれきは不安定な状態でプール内の使用済み燃料の上に載っており、撤去中に倒してしまうと燃料を傷付ける恐れがある。完璧を期すために一旦作業を中断し、3号機原子炉建屋の西側に実寸のモックアップを作って訓練を重ねた。
それから3カ月後の13年12月20日、遠隔操作室に集った関係者が固唾をのんで見守るなか、水没した鉄骨がれきをプール内から無事に取り出すことができた(写真4)。「鉄骨を落としたオペレーターが悔しそうに『俺が取る』と宣言し、見事にやってのけた。目的が明確になれば、人はすごい力を発揮する。そんな姿を目の当たりにした時が、最も手応えを感じる瞬間だ」(岡田所長)。
-特集 7000人の戦線、福島第一原発-より
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