シリーズ
介護生活敗戦記

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「予防医学のパラドックス」が教える認知症対策
ここにきて、「老人は優遇されている。もっと若者に予算を回すべきだ」という発言をする政治家が出て来た。ちょっと見には、いいにくい正論を述べている、良いことをいっている、と思う方も多いだろう。
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母、我が家を去る
2016年の年末から2017年の年始にかけて我々兄弟は、揃ってケアマネTさんの案内のもと、様々な施設の見学に行った。近隣の特別養護老人ホームとグループホームを7か所ほど回った。
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果てなき介護に疲れ、ついに母に手をあげた日
自分が壊れる時は、必ず前兆がある。今回の場合、前兆は、「目の前であれこれやらかす母を殴ることができれば、さぞかし爽快な気分になるだろう」という想念となって現れた。
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介護体制また崩壊、預金残高の減少が止まらない
ストレスに輪を掛けたのが、収入の減少だった。今、自分の預金口座の残高の推移を振り返ると、2016年後半から急速に残高が減っている。母にかかる手間が増えたことで、精神的にも時間的にも仕事ができなくなってきたのだ。
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病状が進行し、やたらと怒る母。薬を増やすか?
2015年12月、主治医を総合病院のA医師から、開業医のH医師へと代えた最初の診断の日、母はH医師へやたらとつっかかる対応をした。「私なんともありません。本当はこんなとこ、こなくたっていいのよ」
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認知症になっても、母のきっぷは変わらず
改装したところで、いつまでこの家で生活できるかは分からない。快適に暮らせるように、しかしコストをかけすぎないように必要最小限に留める――この方針で、私はどこをどう改装するかを決めていった。
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認知症で過食の母、「空腹だ」と台所を荒らす
認知症介護の恐ろしいところは、老化と認知症が手を取り合って進行するところにある。「これで良し」と整えた介護体制は、数カ月程度でほころび始め、次のより手厚い介護体制を組み直さなくてはいけなくなるのであった。
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予測的中も悲し、母との満州餃子作り
今回は、母の食事に関してどのような苦労があって、どうやって乗り切ってきたかをまとめておく。いい年した独身男が母の食事の面倒を見ることになってどんな七転八倒を経験したかは、いくらかは役に立つ情報になる、かもしれない。
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「肩が痛い」母の言葉を疑ったばっかりに
嫌な話だが私は、母がデイサービスに行くの嫌さに、「肩が痛い」と偽っているのではないかと疑っていた。肩が痛いというのが嘘ならば、なんとしても送り出し、初日を円滑に過ごさなくてはならない。
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その姿、パンツを山と抱えたシシュポスのごとし
あまりにつらい記憶なのだ。なので、ここまで書かずに引っ張ってきたのだが、もう書かないわけにはいかない。失禁の話である。母に失禁の徴候が出たのは、2014年12月末だった。洗濯した覚えのない母のパンツが、こそっと干してある…
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あなたは、自分の母親の下着を知っているか?
私のようなノンフィクション系の物書きは、外に出て様々な情報に接することが、仕事を継続するにあたっての生命線である。取材ができなければ、商売あがったりになってしまう。それでは、母の介護を続けることも不可能だ。
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父の死で知った「代替療法に意味なし」
「実は母は認知症を発症しまして……」と説明すると、大抵は息を呑み、「お大事に」という言葉と共に電話を終える。お見舞いを送ってくれる人もある。ありがたいことなのだが、どうにも対応に困るものもあった。
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「ん? ひょっとして認知症?」と思ったら
「これさえやっておけば認知症にならない」という方法はない。確率を下げる方法はあるが、それだけだ。「だれでも認知症を発症しうる」という前提に基づいて、事前にできる準備をしておく必要があるのだ。
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「イヤ、行かない」母即答、施設通所初日の戦い
母の最初のデイサービスは、リハビリテーション運動を半日行うということになった。毎週金曜日に通うことになり、さて、次なる問題は、施設に通うことを母に納得させることである。案の定「やだ」と母は即答した。
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「兄貴、ぜんぶ自分で抱え込んじゃダメだ!」
体験して初めて分かったことではあるが、認知症老人の介護は、自分が頑張りさえすればなんとかなるような甘いものではなかった。介護をやり遂げるには、「公的介護制度をいかに上手に使い倒すか」という戦略性が必須だった。
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母に認知症新薬の臨床試験の誘い、そして幻覚
診断が確定すれば、次は治療だが、現在、アルツハイマー病を根治できる薬は存在しない。過去30年に渡って世界中の製薬会社が根治薬の開発を試みてきたが、これまで成功した事例はひとつもない。
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家事を奪われた認知症の母が、私に牙を剥く
実のところ、介護で一番つらかったのは、大きなストレスではなかった。日常で頻繁に発生するほんの小さなストレスのもたらす「ああ、溢れてしまう!」という感覚だった。
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その名は「通販」。認知症介護の予想外の敵
時折、奇妙な宅配便が母に届いていることに気が付いた。その度に「これを払ってきて」とコンビニ用支払伝票を渡されるのである。最初は言われるままに支払っていたが、一体何を買っているのかが気になってきた。
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母は「認知症?私はなんともない!」と徹底抗戦
母は理性的ではあるが、それ以上に感情の人でもある。感情的に納得できないことには、強い抵抗を示す性格であることはもとより知っていた。が、認知症に関しての抵抗はことのほかすさまじかった。
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「事実を認めない」から始まった私の介護敗戦
「母が認知症? …まさかね」。認めないうちは、現実にならない、そんな意識から見逃した母の老いの兆候が、やがてとんでもない事態に繋がっていく。「明日は我が身」にならないための、笑えない連載です。松浦氏曰く「私の屍を越えて、…