シリーズ
介護生活敗戦記

-
「親を介護するなら辞めてくれ」が上司の本音?
僕らは経済成長に乗って人生を歩めた期間が長いので、想像力が貧困なんですよ。「えーっと、まあ最後は死ぬよね」しかないわけですよ(笑)。たぶんそれでいい時代というのがずーっと続いたんだと思うんです。
-
男性必読!貴兄が母親に辛く当たってしまう理由
これに直面することが、男性の心理にものすごい負荷をかけるそうなんですね。気持ちがかき乱されるので、実の母親に対して客観的に、とか、冷静に、とか思っても、非常に難しいところがある。
-
認知症の親の介護、身内より他人に任せた方が…
認知症の方の自立心を、ご家族で受け止めるのは相当大変なことだなと思います。私たち介護事業者は「特に排泄のケアは、その方の自立心の最後の命綱である」と習って、行動をサポートするんです、できる限りね。
-
人生の目的は「親の介護」。それでいいのか。
「介護サービスの制度は、介護者を支えるためにできていませんね」「はい。こういう仕事をしていますと、介護されている方の人生が見えてしまうんです。それには、介護が終わった後の人生も含まれます。私が一番辛かったのは……」
-
「介護殺人」の本と番組に寄せられた意外な反応
「実は最初、我々がこの企画で、介護殺人の当事者の方の声を聞こう、と考えたときに、『殺人を肯定しているのか』というご批判が寄せられるかもしれない、と、結構構えていたんですね」
-
普通の人が親を殺す「介護殺人」の悲劇
事件の当事者になった方は、本当に普通の、熱心に介護をしていた方がほとんどなんです。そして、親の介護を自宅でする人は今もたくさんいるし、少子高齢化が進んでしまったこの社会では、確率の問題で誰にでも起こりうる。
-
「自分の絶望を分かってくれる人」がいますか?
いわゆる「失敗学」は、失敗からポジティブな価値を引き出す、つまり次にいいプロダクトを作るために失敗から学ぶという立場だと思います。それは、「次」があるからいいんです。でも、問題は、もし次がなかったらどうするかですよね。
-
余命宣告を受けて、穏やかに生きるなんて可能?
人は、自分の苦しみを分かってくれる人がいるとうれしく、穏やかになれる。患者さんも、家族もそうです。例えば病院で病状の説明はされますけれど、家族の苦しみを誰が聞いてくれるかというと、病院にはその機能がないんです。
-
介護の悩みを誰にも言えず、退職していく男たち
介護というテーマは共同体の中でさえ話題にしづらいんです。特に男性は。だから、介護の本が、松浦さんの本のように売れるというのは、実は私には驚きなんですよ。「介護」という言葉がタイトルにつくとみんな嫌うんです。
-
ホスピス医の小澤先生「50代男の介護」を診る
今回から全4回で、小澤竹俊先生と松浦晋也さんの対談をお送りします。小澤先生は、ホスピスの専門家としての診療と「自宅での看取り」を可能にするための人材育成に取り組んでいます。
-
介護経験者はみな思う。「自分もこうなるのか」
介護を体験すると、自分がこうなった時のことを考えざるを得ません。父親のときは僕がいた。だけど、僕の場合は誰もいないんですよ。娘がいるけど、たぶん無理だと。どうしたらいいんだろうかというのを考えますが…
-
「介護もしないうちから偉そうにするな(笑)」
内田くん(内田樹氏)によく言うんだけど、「介護していないやつが偉そうなことを言うんじゃない」(笑)。戦争の体験がない僕らが、生身の身体と避けがたくで向き合うというのは、介護しかないですよね。
-
杉田かおる「朝の挨拶は『生きてる?』です」
でも、母が倒れてくれたおかげで、芸能界のキャリアを降りることが出来た。これは母が寿命を私にくれたんじゃないか。本当は母は120歳ぐらいまで生きるような体かもしれないけど、一生懸命不摂生してくれてたんじゃないか。
-
杉田かおるさんと語り合う「母さん」の介護
母は、頭はしっかりしているんです。だから、自分がどういう状況にあるのか、全部が分かるから、気持ち的に母の方が滅入ってしまう。「ある意味、うちは松浦さんとは逆パターンだな」というふうに思ったんです。
-
「ん? 母さん、血圧なんていつ測った?」
本書に全ての答えが書いてあるわけではありませんが、わたしの「敗戦」が始まる前に、この連載と書籍の担当ができたのは、大きな幸運であったことは間違いありません。もちろん、私の母にとっても。
-
「母の足の形の変化」にまるで気づかなかった私
「もし歩けなくなったら大変だ」ということが先日の帰省で頭に刻まれたばかりなので、脳内でアラートが鳴りまくります。に、しても、本当に歩けなくなる病状なのか、私と電話で話していても分かるわけがありません。
-
介護の相談でうっすら感じた「業界用語の壁」
さて、N市のホームページから、無事「地域包括支援センター一覧」は引っ張り出せたのですが、営業日や営業時間の表記がありません。お邪魔するのに、予約がいるのかどうかも分かりません。
-
担当が『母さん、ごめん。』読んで帰省してみた
連載と単行本の担当編集者である私には、実は、東京から300kmほど離れた街に独り暮らしの母がおりまして、偶然ですが、松浦さんが御母様の認知症に気づかれたのと同じ歳(80歳)なのです。
-
最終回:昭和30年代前半 母が見た日本の会社
この連載も最終回だ。第1回で、私の母が若い時に丸の内の財閥系企業で働いていたという話を書いたら、「もっと書いて下さい」というご要望をけっこういただいた。担当の編集Yさんも「やりましょう」という。
-
介護生活を支えてくれた鉄馬、AX-1
グループホーム入居から、この7月で半年。母は新しい環境に馴染み、それなりに楽しそうに過ごしている。表情は私と家で暮らしている時よりも柔らかくなった。