では、認知症の患者さんの場合は?

小澤:そして人生の教訓として、お母さんが大事にしてきたこと、重要と思うこと、あるいは誇りに思うことなどを、今は認知症のためにどこまで話ができるか分からないけれども、できれば息子さんとしてお母さんの生きてきた生き方というものをちょっと振り返ってあげて、「お母さんはきっとこれを大事にしてきたんじゃないかな」というものを意識して話してみると、きっといい顔になるのではないでしょうか。

 すみません、記憶に障害がある、認知症の患者さんを相手にするときでも同じことなんでしょうか。

小澤:その人の尊厳…尊厳というのは抽象的ですが、その人が大事にしてきた生き方を、「認知症でもうちゃんとした話ができないから、しょうがない」とはあきらめたくないんです。今は判断ができなくても、何を希望するんだろうと考えてみる。そこにはこだわってみたいんです。手がかりは、旅行に行ってお土産に何を買うだろう、というイメージです。

 えっ、お土産?

小澤:これは推定意思と言います。例えば旅行で北海道に行った。「もしここにお母さんがいたら何を買うかな」と考える。何を選ぶか、は、その人の生き方にかかるんです。

 食べることが大好きな松浦さんのお母さんなら、きっとカニとかウニとかイクラとかそういう海産物を買うであろうと推定するわけです。これは架空ですが、たとえばお父さんだったら、あれはすごい飲んべえだから、この珍しい原酒のこれを選ぶであろう、と。

 その人だったらこうするだろうと。

「わかってくれる人」になれるか

小澤:ええ。だから認知症で、本人が今は今日が何日か分からない状況であったとしても、その人がこだわって大事にしてきた生き方や尊重するべきものがあるだろう、それをこちらが推定して呈示しよう、と思うんです。

松浦:なるほど。

小澤:郷土の力士が勝った、でもいいし、現実と繋がるいろいろなエピソードがあるはずですね。こんなことがあって、こんなニュースがあって、「お母さんがすごく好きだった曲、今日ラジオで流れていましたね」とか。それを通じて、ご本人が穏やかになれれば、周りの人もきっとうれしいし、穏やかになれると思います。

 ただ食事が三度三度出てきて、便秘しないで夜眠れて痛みがなければいいとか、そういうものではなくて、そういう部分を私は大事にしたいな。そして、一部のエキスパートだけではなくて、介護や看護に関わる人みんなができたらいい。それができたら、ご家族も心から安心して、要介護者や患者さんを委ねられる。そうすれば、仕事にも専念できるんじゃないかなと思います。

 そういうことですか。

小澤:委ねるというのは相手が必要です。どんな相手に委ねるかといえば、信頼なんです。だからこそ委ねられる私たちとしては、ただ単に資格とかではなくて、「わかってくれる人」になれるかどうかです。仮に、もうどうしようもない、何の役にも立てない状況だったとしても、相手から見て、まず、「私が絶望していることを分かってくれる人」に私たちはなりたいのです。

(つづきます)