なるほど。

小澤:となれば、一緒にお母さんが穏やかになる方法を探します。例えば、いらいらしないで攻撃的にならないような薬を配慮したり、環境を整え、話題を考えようと思います。

 前回、先生が指摘されていた、お母さんが大事にしている時代のお話とか。

小澤:そうですね。あとは、松浦さんが仕事に行きたい時に行ける環境をつくってみたいですね。

 本を読み直すと、松浦さん自身も御苦労の末に、薬の処方を変えて貰ったり、仕事に出られるようにお母様を預ける施設を探されたり、と、動いていましたね。

小澤:そうですね。その都度、ケアマネさんであったり、弟さんが来て、松浦さんが穏やかになれるように手助けをしてくれていた。その「穏やかになるためのプロセス」が、非常に分かりやすくこの本には示されていると思うんです。

 しかし、原稿を読んでいてすら歯がゆかったのですが、松浦さんはどうして他人に苦しみを打ち明けようとしなかったのでしょうか。その方が、ずっと「他人に分かってもらえる」可能性が上がりそうなのに。

松浦:えっ。

苦しみを受け止めるスキル

小澤:相手を選ぶんです。苦しんでいる人は、苦しいからと言って誰にでも苦しみは言わない。分かってくれる人に言うんです。

 あ、なるほど…。

小澤:なので、その打ち明ける相手になるべき人こそ、介護や看護の現場のプロなんです。だから我々には「(家族や患者が)言わなければ満足している」という考えはないんです。我々は、その苦しみに気が付く感性を問われているんですね。言葉は言わなくても、何かのメッセージや、気掛かりを感じる力、そこに糸口がある。糸口に気が付くかどうかかな、と思います。

 本ではケアマネのTさんが、松浦さんを要所要所で支えたお話が出てきますが、踏み込んだお話もそれなりにされたのでしょうか。

松浦:そうですね。お金の状況の話などは具体的にしましたが、自分の内心の話はほとんどしなかった。でも、もう実はそれだけでかなり……

小澤:楽になりますね。

松浦:ええ。状況は明確になるだけでもある意味、自分の精神的な安定には効く。…今気が付いたんですが、こういう話って歴史的には宗教が引き受けてきた役割ですよね。

小澤:昔はそうですね。

松浦:宗教が持つ苦しみを受け止めるスキル。たぶんそういうものは、おそらく今よりもずっといろいろなリソースのない時代においては大きな役割を持っていたんであろうという。

小澤:あらためて、宗教家が普段の日常生活にほとんど入らなくなった日本において、受苦の技術を誰が担っていくんだろうかというところも、今後の社会の課題になるはずです。これが文化として、企業や地域に根差さない限り、介護者も要介護者も穏やかな気持ちで過ごすことができません。一部のエキスパートしかできないんじゃ、とても足りないんですよ。