それこそ、連載第1回で松浦さんが書かれたように、「介護」というできれば関わりたくない状況が、本を読むということで発動するように感じてしまうんでしょうか。

小澤:そうです。だから本ですら買わない。いつか、いつか、いつか、でも今じゃないといってあえて避ける。実際、結構売れている作家さんが、本に「介護」と付くだけで売れなくなるのを見たことがありますよ。

 サブタイトルに下げて正解でしたかね。最初は「『母さん、ごめん。』だと介護の本だって分かってもらえないぞ、どうしよう」と心配していたぐらいですから。

小澤:オンライン連載があったことも大きいのでしょうね。

 いや、書いたご本人を目の前にして言うのも何ですけど、元々の原稿がしっかり熱を込めて書かれていたおかげだと思います。読んでくださった方からのコメントが、これは世の中に求められていると確信させてくれました。あとは、きちんと本にしただけです。それを販売の人、書店の方が汗をかいて広げてくださった。そうすれば、あとはもうコンテンツの力でちゃんと売れていくんだなと。当たり前のことかもしれませんが、21世紀でもやるべきことは同じなんだなと、新鮮な驚きを感じてます。

介護を家族に負担させれば、社会から人が消える

小澤:たぶん、この本はすべての始まり、少なくともそのひとつだと思います。今後の超高齢化・少子化という時代の入り口から見た、近未来の縮図としてとらえた方がいいと思います。近未来というか、もう現実に起こっている事実なんですけれど、これから松浦さんと同じような方がこれから1000万人も現れてくるんです。

松浦:そうですよね。これから団塊世代が退場していく時代になると、団塊ジュニアがまさに、僕と同じ立場に立つことになる。介護される方もする方も飛び抜けて人数が多いから、社会に大きな影響が出る。これはもう間違いないです。

小澤:そのときは40代、50代が、がっと急に会社からいなくなる。ぞっとしますね。

松浦:はい。

 家が、個人が、要介護者の面倒を見ろという社会だったらそうならざるを得ないですよね。

松浦:ならざるを得ない。会社どころか、社会から消えてしまう。これだと経済ももっと回らなくなるでしょう。

小澤:そしてまた、独り暮らしの方が多いんですよね。松浦さんみたいに兄弟姉妹がたくさんいるとは限らない。親と子1人ずつだったらと思うと、相当にシビアですよね。

松浦:そうですね。

 私、まさにそんな立場です。逃げ場がないし、愚痴の吐き出し先もないですね。

小澤:吐き出し先として連載、書きませんか。でも、書ける場所がある人はまだいいですよね。松浦さんがそうであったように、悩みや辛さを誰にも言えないで、1人で映画とオートバイ、そういう方は多いんでしょうね。それが本当の意味でリフレッシュになれるかというと、必ずしもそうじゃないかもしれません。その瞬間は忘れられますけど、現実が待っていますので。

松浦:そうです。

支えている側が平静でいるためには?

小澤:その乗っている間、映画を見ている間は一瞬忘れられる。でも終わった瞬間またリアリティーが待っていて、その中でふつふつとまた悪循環が始まれば、本当に負のメッセージである、「早く死なないかな」とか、あるいは本当に思わず手が出てしまう。手が出なくても言葉として、いらいらしてしまって当たることは、これはたぶん十分起こっていると思います。

松浦:それはいっぱいありましたね、本当に。

小澤:言葉の暴力というか。

松浦:怒鳴っちゃうとかね。

小澤:「何やっているんだ」とか、「さっき言っただろう」とか。

 親については、私、松浦さんよりもぜんぜん状況が緩いのに、そんなのばっかりです。優しくしようと思っているのに、「何でそんなとんちんかんなことをするんだ」という、年寄りに対して理不尽な怒りがわいてくるんですね。あれ、何なんでしょうか。

小澤:いい親であればあるほど、「自分を育て、導いてくれた」という原型があるので、その原型に戻したいと思うのではないでしょうか。「注意すればまたよくなる」というような、その思いがもしかするとあるのかもしれません。

 なるほど…。

小澤:だって、自分が言われていますからね。勉強しろとか、だらしなくするなとかね。だからこそ穏やかになるためには、ある程度委ねた方がいいのかもしれません。自分でしない。プロに任せる。

松浦:たぶん僕はそれしかないだろうという気がしています。

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