
松浦:最悪、高齢者層が社会的圧力を逃れるために死を望む、みたいな形になっちゃう可能性すらあるわけで。
平川:生活保護の問題と一緒ですよね。あいつらに金を掛けているのは、医療費のムダだと。本人たちも「迷惑を掛けるから死なせてくれ」みたいになっちゃう。
松浦:でも、それは結局、社会的な同調圧力でしかない。
平川:大変に難しくて深い問題ですね。
介護は、自身の死を身近な問題として考えさせる
詰まるところは「自分自身の死とどう向き合うか」になってきますか。
平川:それをずっと僕は考えていたんだけど、でも、人間というのは、生まれたときにもう死が約束されているわけですよ。言ってみれば、死ぬ寸前までは生きている側なんですよ。だから、死を考えると言うことは、裏返すと、どれだけ自分が「生きている」という実感の中でやれるか、じゃないか。
さっき(前編参照)「介護した人はおそらく同じ認識を得る」と言ったけれど、それは、死というものをものすごく身近に考えることじゃないですか。
松浦:そうですね。死を考えるから、生きることを考える。生きている間に「生きているぞ」と感じることをやりたい、と考えますね。
平川:僕はこの4年間でがんを3回宣告されて2回手術したわけですけど、自分の人生というか、自分の老後――もう確実に30年後はこの世にいないわけですので――20年後はどうか分からないけれど、今生きているのは「残された時間」だ、という考え方になりましたね。その残された時間をどう有効に使おうかと。
松浦:そこまではいきませんでしたけれども、「残された時間は有限である」という意識は介護の経験を通じてたたき込まれましたね。でも、やっぱり甘いんでしょうね。残された時間は有限だと思って、最初に思ったのは「俺はあと何年バイクに乗れるだろうか」とかで、自分の欲望の充足にいっちゃった。
バイクですか(笑)。そういえば、最近バイクを買われたんでしたね。しかもよりによってカワサキのAR125。なんでそんなマニアックな中古、いや太古車を。
松浦:いいじゃないですか、二十歳の頃に乗りたかったバイクで、程度の良い出物があったんですよ。今は「この素晴らしいコンディション保ったまま、いかにして次のオーナーに渡すか」で悩んでます。家が海に近いので、どうしても錆びちゃうから。
……(欲しがる方、いるのかな)。

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