平川:そのときに感じたのは、もうそういう、治る見込みはない状態になった時に、何を取るかなんですよね。医者はどうしたって生かすことを優先する。でも僕は「延命治療はいらない。ペインクリニックで痛みを取ることを優先でやってくれ」と考えたんです。

松浦:病院の機能というのは、治して、退院して、社会に復帰することが目的であるわけで。

平川:だから、病院の仕事じゃないんだよね。

松浦:病院は、先がないという人を引き受ける場所ではないですからね。父ががんの再発を繰り返したときに、どうすべきかというのを父も含めて家族で相談したことがあって、そのときに父が「とにかく気管切開や胃ろうやその手の延命治療は一切いらん」と言って、母もそれに強く同意していました。だから実は、この先に来るであろう母の最後には私もそれでいこうと思っています。

 実はこの6月、母は軽い脳梗塞をやって2週間入院したんです。そのときに病院の方から「状態が悪くなったら、どこまで延命治療をしますか」という書面が回ってきて、署名を書くことによって延命治療を拒否できるんですね。「ことここに至ったら、もう寿命であると考えます」という判断ができる。

平川:老いの問題と……

松浦:死の問題ですね。

日本で尊厳死は時期尚早、なぜなら

 そこまでいくと、尊厳死の問題も出てきますが。

松浦:尊厳死で嫌なのは、日本の場合は社会的同調の圧力が掛かる可能性がすごく高いことです。

平川:そうなんですよ。

 「お前、何で死なないの?」みたいなことが起こりますか。

松浦:要するに特攻と同じですよ。「自由意志で志願」と言いながら、裏で根回しして強制するようなことが頻発すると思います。

平川:死は、法律になじまない問題なんですよ。法制化しちゃいけないんですよ。個人の死は、その個人のものだから、それぞれが自分の意思で最後は決めなきゃいけない。「(本人が認知症や昏睡状態などで)意思がないときにはどうするんだ」という話があるんだけど、その場合は親族なり何なりが集まって。

 いろいろな複雑な問題が絡むわけですよ。人間だから。それを法律で規定しようとすると、恣意的に、強制的に使うことができてしまう。やっぱりそこはフリーハンドを残しておかなきゃいけない。

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