平川:シシュポス、シジフォス的な。ちょっと違うかな。何て言ったらいいのかな。
松浦:僕の感じ方だと、もっと日常ですね。
平川:そうですよね。
そうか、これは非日常じゃないんですもんね。
平川:日常なんです。やっていることは、例えば、飯を食わせなきゃいけないから料理を作る。風呂に入れる。下の世話をする。
松浦:一つひとつ分解して見ていくと、わりと日常的なんです。朝起きる、ご飯を作る、掃除をする。下の始末だって、繰り返してしまえば日常に入ってくる。していることはある意味「当たり前」であって、変な話ですけど、やっている最中に思ったのは、「これを辛いと思ったら、世の多くの女性の皆さんにこっぴどく叱られるな」ということでした。ただ、介護の場合、その積み重ね方がやっぱり半端ではない。

積み重ね方といいますと。
松浦:一つひとつはたいしたことはない。ただし、それが延々と続いていく間に、老化と病状の進行で徐々に負荷が増し、手間がかかり、気が重くなるようになっていって、しかも終わりがなくて、ふと1日を振り返ってみると、「え、こんなにやったの」というぐらいの量になって積み重なっているという。
……。
介護のために、別居しちゃいました
平川:松浦さんのお母さんは美食家で大変だったようですが、うちは、僕が朝昼晩、男の料理を作り続けていると、時には、意外と喜ばれたりして。それ自体は結構楽しいものでしたね。とにかくこの介護がある「日常」を、どういうふうにして豊かにするか、苦しい苦しいじゃなくするかということが大変重要ですよね。で、僕はサイクリング車を買いました。それまでほとんど乗ったことがなくって、オートバイに乗っていた。それをやめて自転車にして、川っぺりをずいぶん走ったりしていましたね。
あれ、松浦さんと逆ですね。自転車からオートバイ。
松浦:逆ですね。まあ、乗り物は何でもいい気晴らしになりますよ。
平川:何でもいいんですよね。
僕は実家に単身赴任するような形で、全部仕事の道具だとか少しずつ持ち込んでいって、最終的には完全にそこで暮らせるようにして、それで、ある意味「やり切るしかない」と覚悟を決めたのですが、松浦さんはどうでしたか。
松浦:「意識したのはこの瞬間」ということはなくて、徐々とそういう心持ちになっていったみたいですね。気が付くと巻き込まれて、何だか知らんけど流されてえらいことになっていたというのが。
放り出そうというふうにはならないものでしょうか。
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