松浦:そうですね。僕は、介護される側、我々の父母の側が少しずつ少しずつ、老いや病気で人間の尊厳を削がれていくということが、一番つらかったことなんです。平川さんの本を読んで、その感覚は共通なんだなと思いました。そしてもうひとつ、老いも病も、いずれ自分にも訪れるものとして覚悟しておかねばならんなと意識しました。
平川:そうですか。ありがとうございます。客観的と言えば、松浦さんのほうの持ち味だと思いますが。僕は、介護していることを知った編集者に「本を書かないか」と言われた時、「介護の話はちょっと書けないよ、あまりにも生々しくて」と躊躇していたんですね。だから、『俺に似たひと』は、体裁としては小説にしちゃったんですよ。
通常、「俺」という自称は僕は書き物では使っていなくて、この本以外では全部「わたし」なんですけど、「俺」という主人公を立てて、どこにでもいるような人間としての「俺」として客観化することで書けば書けるかな、ということで。いろいろ考えたんです(笑)。
ですから、全体の構成も基本は「放蕩息子の帰還」という、神話の話型を使って書こうと。それじゃないと書けない。手記みたいに書くのはきついなという感じがあったんですよね。だから、ああいう形になったんです。松浦さんとは対照的です。それから、父親を看るのと母親を看るのは、全然違うんだろうと思いましたね。
松浦:そうですね。そうかもしれません。
人間、介護をして一人前なんです(笑)
平川:僕は母親のことはほとんど書けなかった。本でも少し触れましたが、最初の半年ぐらいは母親の介護をしていて、彼女は病院で死んじゃいましたから、「何もできなかった」という気持ちがあって。母親が死に際に「お父さんのことを頼むよ」というふうに言われちゃったものだから、まあ、このおやじのことを俺がやらなきゃいけないのかなと思って、母親が亡くなった後、等々力のマンションから実家に移ってきて、1年半後にあの世に行くまでの間、同居をしたんですけどね。でも、松浦さん、大変ですよね。よくやられたなと。独力で介護されたのは何年でしたっけ。
松浦:トータルで、2年半です。
平川:2年半。それじゃもう限界でしょう。
松浦:もう限界でしたね。ただ、認知症や老化の進行の遅い方の場合は、介護期間が5年とか10年とかになる方もおられる。僕には5年、10年もの介護はできんなと、本当に思います。
平川:僕はこの『俺に似たひと』をきっかけに、介護をされた方とたくさんお会いしたんですが、「嫁に行って、行った先で両親をずっと見て、それが済んだら今度は自分の両親を見て、20年ぐらい介護をずっとしている。結婚はもう介護だ」という方の話をお聞きしました。そういう方もいらっしゃいます。
松浦:もはや、何と言って良いやら。
平川:だから、僕は内田くん(内田樹氏、平川氏の旧友)によく言うんですけど、「介護をして一人前なんだ」と。「介護していないやつが偉そうなことを言うんじゃない」(笑)。つまり何ていうんだろう、戦争の体験がない僕らが、生身の身体と避けがたく向き合うというのは、介護しかないですよね。
Powered by リゾーム?