でも、母が倒れてくれたおかげで、芸能界のキャリアを降りることが出来た。これは母が寿命を私にくれたんじゃないか。本当は母は120歳ぐらいまで生きるような体かもしれないけど、一生懸命不摂生してくれてたんじゃないか。つまり、私が母を120歳まで面倒を見るとすると、90歳まで生きなきゃいけない、働かなきゃいけないんですよね。だから、母が90歳ぐらいで寿命を全うできるように、私が60歳ぐらいまで頑張ればいいように不摂生してくれていたんだな、という考え方で(笑)。

すごい。ポジティブ…なのでしょうか、よく分かりません。

杉田:何か前向きなんだか、前向きじゃないんだか分からないですが、とにかくそういうお釈迦様の説話みたいな感じで、お釈迦様も本当は120歳まで生きるのに、両親に20歳ずつ寿命を分けて80歳で亡くなったというのを聞いて、その逆パターンかなと思って。母が120歳まで生きないでいてくれているために遊んでいてくれたんだというふうに思っているんです(笑)。

松浦さん、どうですか。今のお話。

松浦:いや、もう圧倒されちゃった。杉田さんお一人のお話の方がずっと面白いんじゃない? 本当に。

いやいや。

杉田:でも、一人一人に焦点を当てたら、本当に松浦さんのお母様の人生も、本の最後の、昭和のオフィスレディとして活躍していた部分がすごく広がりを持っていますよね。お母様にいっぱい聞いておけばよかったなというぐらいいろいろなことがあったんでしょうね、きっと。

生きてきたようにしか、死ねそうにないですね

松浦:そうですね。父もそうだし、祖母もそうだし。それから、僕の父方の祖父はシベリア抑留で死んでいるので、いろいろあったんでしょうね。だから、聞いておくべきだったけれど、それはもう分からない。本当に分からなくなってしまいました。

 聞いておくべきだったということはいっぱいあるけれども、もうしょうがない。さっきの死に方の話に戻りますけれども、母を見ていて「生きてきたようにしか死ねないな」ということを強く感じました。

 それは実は自分に戻ってくるんです。お前、死ぬときにどうなると考えたときに、やっぱりこれまで生きてきた軌跡の結果としてしか死ねないんだろうな、と感じるわけです。ところが、それが具体的にどんな形かというと、これがどうにも分からない。

杉田:「生きてきたように」ということは、つまり生きているうちは自分で意識できるわけですから、50歳からは、死ぬときの自分が、なるべく理想に近づくような日常を意識して生きられるな、という喜びもあるかなとも思います。

 私はブータンに行ってすごく感化されたんですけど、やっぱり“幸せ道”じゃないけど、人の幸せを願える、そういう国なんですよ。国の人たちが。まず自分の幸せ、家族の幸せ、そういうものを一つ一つ願えるというか祈れるというか、そういう精神状態の自分に持っていくことがすごく大事じゃないか。「死ぬ」ことは本当にみんなに来ることなので、それに対して、自分が家族や他人の幸せを祈れる境地になったり、そういう精神状態に持っていけるかどうかというのが、人間として生まれてきた中でのチャレンジするべきところなんじゃないかなと思うんですよね。