杉田:お母さんはもともとすごく遊んでいて、子供心に「お母さんはもう、家に帰ってこないかもしれない」と思ったことも何度もありました。どこかでけがをして事故で死んじゃうんじゃないかと思った。今、酸素ボンベとつながれて、「寂しくて悲しいかもしれないけど、逆に事故を起こさない、いなくなったりしない、と思うと、私たちは安心なんだよ」と言ってあげると、「そうだね」と言って。

ちょこちょこ、帰ってこなかったんですか。

杉田:ええ、もう、何回も駅で寝ちゃって、警察から電話があって迎えに行ったりとか。それが70歳ぐらいまでそういうふうな生活だったものですから、実は、ちゃんとしていた母というのを見たことがない。

 だから、逆発想でいこうと思って。初めから、「何でお母さん、こんなことができないの」となっちゃったら、どんどんお互いにつらくなってしまう。これまで「ちゃんとしていなかった」母が、いまはおとなしく、言うことを聞いてくれている。そういう感じなんですけどね。

最後に、働くことと介護についてお聞かせ下さい。お2人ともフリーランスで、ご自身のお仕事そのものでご自身を支える生活をされている。それをお母様の介護ということで、時間も、テンションもそちらにぐっと取られる経験をされましたよね。働きたいのに、できないという状況をどうやって飲み込まれたのか、もしくは飲み込めなかったのかを、伺っていいでしょうか。

松浦:じゃあ、僕から。もういや応なしです。結局、やらなければ母の生活が維持できない。そうなると、目の前にいる人間の方がどうしても優先します。だから、僕の場合は本当に仕事がばたばたで結構…Yさんにもご迷惑をおかけしたんですけれども、肉体的、時間的、それから精神的に、近いところから片付けるしかない。

 目の前にあるものを片付けていく、そうしたらば結局のところ、Yさんからかかってくる「原稿まだですか」の電話は間欠的だけれども、母は恒常的にトラブルというか、やらねばならないことを生み出す。だから、どこかであきらめた、というより、むしろずるずるとです。杉田さんの、テレビ出演や役者としてのお仕事はどうなんでしょう、「ここから先はできない」と思って、思い切って切る、というやり方だったのでしょうか。

楽屋に「借金返済」と貼ってました

杉田:私は、役者としてはすごく変わっているんだと思うんですけど、もともとすごく仕事が好きなわけじゃなくて、家族を食べさせるために始めたんです。13歳のころから、人生のテーマは「絶対、家族を飢えさせない」。だから、借金を抱えたときは楽屋に「借金を返す」と大きく書いて仕事をして……

ええっ、若手女優の楽屋に「借金を返す」の張り紙、ですか。

杉田:みんなすごく夢がないでしょう(笑)。だけど、一応書いておかないと忘れちゃうんですよ。遊びたくなっちゃう盛りだったから。30代のころも、母はそのころから肺気腫があって、私も初めから結婚もあきらめていたので、「いつか母と一緒に九州のふるさとに帰る。稼ぐだけ稼いで、メドがついたら九州に帰って、ママと温泉旅館で2人で住み込みで働こう」と言って、そのためにバラエティーに出たら、たまたま当たっちゃったんですね。

松浦:へえーっ!