杉田:それを「もう処分する」と、本人が決断するまでに、とても時間がかかって。でも、時間をかけて断捨離していったから、本人の中で「欲」というか、過去の栄光というか、そこから気持ちを切り離すことができたんだと思うんです。いや、今も、いろいろな思い出や後悔、みたいなことを少しずつ整理しているところかな。

松浦:なるほど…。

杉田:でも、その途中の段階は本当に、母の葛藤がすごく手に取るように分かるんです。入院しているのに「飲みに行きたい」とか「病室で我慢するからワインを飲みたい」とかいろいろ。集中治療室から出てきたばかりなのに「外出届を出してちょうだい」と言われたときは呆れましたが(笑)。正直に言えば、やっぱり病気になって、自由が利かなくなっていく、そのときの母のわがままとの戦いは大変だったんですけどね。

認知症の母は、自分の異常に気づいていた

松浦:たぶん「認めたくない」んですよね。自分がそういう状態にあることを。結局、僕ら介護する側も外から見ているわけじゃないですか。本人が心の中で何を考えているかって、うかがい知れない部分がある。ただ、よく見ていると、何ていうのかな、うちの母は認知症でしたが、それでもやっぱり本人も気が付いているわけです、自分の異常に。

杉田:そうなんですね。

松浦:「記憶が続かなくなっている」という、自分の異常に気が付いている。それを、僕はなかなか認めずに「敗戦記」になってしまったけれども、母もやっぱり認めたくなかったんだと思うんです。

 症状が進んでくるにしたがって、「何で私はこうなっちゃったのかしら」と、何度も僕に言うんですよ。

杉田:ああ…。

松浦:ふっと、ある瞬間だけ、僕から見ると以前の母が戻ってきている。まともな、というか、正しい判断力を持った状態の母がときどき戻ってくる。

 母自身が、戻ってきて自分を認識すると、「なぜこんなことになっているんだろう」という自己認識になるんですよね。「何でこんなにだめになっちゃったんだろう」と言うんです。こちらの方は「まだだめになったと分かっているうちは、まだ大丈夫」と答えるんです。でも、そんな言い方で母にしても自分にしても、現状を簡単に受け入れられるものではないですよね。