十数年前、呉服チェーンの店員の口車に乗って、資産(といえるほどでもないのですが)を全て失ったという母の実情にショックを受けて、「いったいどうして」と私が問い詰める度に、母が「わからない…ごめんなさい…」と、どんどん平板な口調になり、暗い穴の中に落ちていくような表情になっていった。その記憶が、再び蘇り、私に警報を鳴らしました。アブナイ。十数年前より体力気力はがた落ちのはず。これ以上責めるように聞こえたら、本当に「うつ」か、最悪、自死へ行きかねない。あのときは、どうしたんだっけ…。
家に帰って、荷物を纏め、血圧計の使い方をもういちど確認しました。もう高速バスの時間ギリギリです。
「じゃあ、帰るけれど、血圧は毎朝きちんと測ってね。靴もちゃんとフィッティングに行くんだよ」
「うん、わかった」
すこし元気を取り戻した母を、私は、十数年前と同じようにぎゅーっと玄関先で抱きしめました。ああ、太ってるなあ…(笑)。
覚悟なんてできないけれど諦めはついたかも
おそらくこれからも母は、私につまらないウソをつくのでしょう。老いが進むにつれ、ますます、思案投げ首になるようなトラブルも起きるのでしょう。その覚悟ができた、わけではまったくありませんが、「母は、もともとそういう人だったし、年を取るとはそれが露わになるということなのだ。それでもまあ、できるかぎり付き合っていこう」と、諦めはついた…、もしくは、そのきっかけは掴んだ、ように思います。
「介護生活」は、本連載時のタイトルの通り、誰にとっても「敗戦」であり、そして、特に男性にとっては、間違いなく「母さん、ごめん。」という気持ちを強いられるものでありましょう。
避けられない負け戦に、どんな準備ができるのか。
敗戦から我々は、何かを得られる可能性があるのか。
もちろん、本書に全ての答えが書いてあるわけではありませんが、わたしの「敗戦」が始まる前に、この連載と書籍の担当ができたのは、大きな幸運であったことは間違いありません。もちろん、私の母にとっても。
そういえば母にはこの帰省で、刷り上がったばかりの『母さん、ごめん。』を渡してきました。後で電話口で「面白かった、すごく文章が上手で読みやすいわねえ」と、まるで人ごとのような感想を言っておりましたが。ああ母上、お願いだからもうちょっと自覚を(笑)。
----- 松浦さんの連載への読者の皆様からのコメント(その9)-----
●読んでいて涙が出そうになりました。
身内の介護に関しては未経験ではありますが、肉親や主人のご両親を将来介護する可能性は十分有りますのでいつも参考にさせて頂いております。
よくメディアで介護による虐待に関するニュースが報道されているのを目にしますが、松浦さんのような背景を抱えている方の苦しみの表れでもあり、また、報道は氷山の一角にすぎず、こういった苦しみを多く抱えている方の存在は数えきれないのだろうなと、想像して胸が痛くなりました。
人に見せたくないないような感情の動きや自分の弱さを誰かへ見せるだけでも勇気のいる事なのに、包み隠さず文章へ記して連載した松浦氏へは頭が上がりません。
他人事では無く、起こるかもしれない自分の未来への備えとして、是非書籍を購入し、周りの友人へもすすめたいと思います。
●母に手をあげたくだりを読んで、職場なのに泣いてしまいました。
とにかくお疲れ様です。
●前回もそうでしたが、非常に重い話でなんとコメントすればよいか逡巡してしまいます。が、思い切って書いていただいた松浦さんに敬意を表したいと思います。この本は必ず買います。
●今月に単行本にまとまって本が出るようですが、松浦氏に対する深い敬意と、日経に似たような素材で深刻な時事問題を疑似体験できるコラムを他にも出してもらいたいという強い要望を示すために、さっそく予約しました。
まさに「シーシュポス」、劇的な瞬間に命を懸けるのは悲劇でも苦痛でもない。終わることなく打ち続く鈍い痛みと未来への諦めこそ耐えることのできないものだ。親を介護するという地味な毎日の繰り返しこそまさにそれだ。
NHKというか日経だからTV東京か。このコラムをこの雰囲気のままでドラマ化できないもんですかねえ?(文章では伝わっても映像では面白くないものがあるから本がなくならないわけですが)
●読んでいて涙が出ました。よく子育てで子供を叩く親もそれ以上の痛みを心に負うと言いますが、介護も同じと思います。
私の場合は手をあげるところまではいきませんでしたが、思うようにならない親を叱りつけることしばしば、これもきっと言葉の暴力だったかもしれません。親が亡くなってもその後悔と痛みは今も引きずっています。
それを乗り越えるのは只一つ、これも親から授けられた人生の教訓と胸に刻み、子供に同じ思いをさせないよう最善の努力を尽くすことではないでしょうか。認知症を治す薬はないとしても、それを遅らせるための生活習慣の改善がいろいろと提唱されています。遅まきながら私も実践することにしています。
●この連載は読み物として面白く、また大変有益な情報を得られる。
しかしながら、母への愛や感謝も感じさせるだけに、とても悲しい。
●私は未だ30代なかばです。親もまだ60代前半で意気軒昂。ですが、昨今のニュース等で介護が苦しいことになることは見聞きしておりました。松浦さんが母親に手を上げた時も辛かったかと思いますが、それを文字にする時もまたお辛かったと思います。私もいつかこうなる可能性があると考えると慄然するとともに、涙無しには読めない記事でした。
(連載にいただいたコメントの一部です。本当にありがとうございます)
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