松浦さんの気持ちの一端を知る
いまこうしてこのときを振り返って、お母さんを平手打ちしてしまった松浦さんの気持ちの一端が初めて分かりました。あの部分をよくもああも抑制的に書けたものだなあ、と、今更ながら唸ってしまいました。
母はひるまなかった。「お母さんをなぐるなんて、あんたなんてことするの」と両手の拳を握り、打ちかかってきた。弱った母の拳など痛くもなんともない。が、一度吹き出した暴力への衝動を、私は止めることはできなかった。拳をかいくぐり、また母の頬を打つ。「なんで、なんで。痛い、このっ」と叫ぶ母の拳を受け、また平手で頬を打つ。
平手だったのは、「拳だともう引き返せなくなる」という無意識の自制が働いたからだろう。その時の自分の気持ちを思い出すと、「止めねば」という理性と「やったぜ」という開放感が拮抗して、奇妙に無感動な状態だった。
現実感もなく、まるで夢の中の出来事のように、私と母はもみ合い、お互いを叩き合った。いや、叩き合うという形容は、母にとって不公正だろう。私は痛くないのに、母は痛かったのだから。自分を止めるに止められず、私は母の頬を打ち続けた。
我に返ったのは、血が滴ったからだ。母が口の中を切ったのである。暴力が止むと母は座り込んでしまった。頬を押さえて「お母さんを叩くなんて、お母さんを叩くなんて」とつぶやき続ける。私は引き裂かれるような無感動のまま、どうすることもできずに母をみつめるしかなかった。
そのうちに、母のぶつぶつの内容が変化した。
「あれ、なんで私、口の中切っているの。どうしたのかしら」――記憶できないということは、こういうことなのか! この瞬間、私の中に感情が戻って来て、背筋を戦慄が走り抜けた。
洗面所に向かった母を置いて、私は自室に籠もった。なにを考える気力も沸かないまま、携帯電話を見ると、ドイツにいる妹からのLINEの連絡が入っている。
(「果てなき介護に疲れ、ついに母に手をあげた日」より)
凄まじい出来事を、こんなに淡々と書けるのがどんなに凄いことか。私は、ここまで書いたこの程度の、母のついたたわいのないウソくらいで、当時も書いている今も自分の気持ちが波打ってどうしようもありません(その違いが恥ずかしいこともあって、書くのを躊躇していたのですが)。
そして、その松浦さんをして「ゲラを読み直すのがものすごく辛い! Yさん、できればお任せできませんか」と仰っていたのですけれど…。まさに『母さん、ごめん。』は、松浦さんの血で綴った本なのだ、と思います。
閑話休題。
母が謝ってくれたことをきっかけに、テーブルの上で血圧計のレクチャーをしたりしながら、ぽつぽつと会話が復活しました。しかし、まだ表情や口調におぼつかなさが残ります。
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