「いったい、何を考えてるの? 医者に嘘ついてなんの得があるの? 言ってたでしょう、高血圧のひとはたくさんリスクがあるって。ウソ付いても、医者はそれを信じちゃうんだよ。大きな病気を見逃したらどうするの。そもそも母さんは、あんなにしれっと口から出まかせを言う人だったっけ?」

 母の表情が消え、目が虚ろになりました。
 この顔には覚えがあります。10年以上前、某呉服チェーンの若い女子販売員に騙されて、乏しい蓄えをありったけ、つまらない和服につぎ込んだことが、私に発覚したときの顔…。あれから長い時間を掛けて、ようやく、母も自信を取り戻していたはずなのに。

 「ああ、まずい。そろそろリカバーにかからないと」という冷静な観察と、「いや、ここできちんと『医者にウソはダメ』と自覚してもらわないと」という計算、そして「そもそも息子の前であんなに朗らかにウソを言うなんて…どこまでこの人を信じていいんだろう」という怒りと混乱が脳内で渦巻きました。「母が自分から『ごめん、二度としない』と言い出すまでは、甘く出るべきじゃない」というのがこのときの結論でした。

 いや、もっと正直に言えば、帰省してからの細かなストレスが重なって「会社を休んで、家族の時間も削って、あれこれ面倒を凌いでここに来ているのにそれはないだろう」という、自分自身の不満が、母への怒りにブーストを掛けていたと思います。

 母を会計待ちに残して、自分はスマホで血圧計を売ってそうな近所のショッピングモールを検索、2店を見つけて電話を掛けて在庫を確認、こちらの様子を伺いつつ、何を言ったら怒りが解けるのか分からずに無言の母(それが分かるから余計にイライラする私…)を連れて無言で店舗へ。「正確な計測は、やはり二の腕に付けるタイプが」と推奨されましたが、母の性格からして、手間は少なければ少ないほどマシなはず。簡易な手首タイプを購入しました。

母への失望と喪失感が怒りを生む

 もう高速バスまで時間があまりないので、モールの中の蕎麦屋さんに入ります。なかなかおいしいお蕎麦なのですが、今は砂を噛むような味。

 「…ごめん、悪かった。もうウソついたりしないから」

 ぽつっと母が言い、ああ、こんなことを言わせてしまった、と、こちらの心にも悔悟が兆しますが、驚いたことに自分の中の“怒り”もまだ消えていません。

 怒りは、恐れと裏表だと言います。

 今回の件で自分の中に“恐れ”が生まれたとしたら、ひとつは間違いなく「この人から生まれた自分もこうなるのではないか」という恐怖でしょう。

 実際、母の家の中のだらしなさ、さきほどこの目で見た、面倒くさいが故に適当なことをつい言ってしまうこと、そして、お金への無頓着さ、簡単に人を信じる騙されやすさ、などなど、今回の帰省で、はしなくも露わになった母のこうした面は、いつも自分自身が「これではアカン」とがっくりくる点です。老いたら自分も、他人からこう見えるのは、残念ながらほぼ確実ではないか、と、思い知らされ、それが「なんてものを見せてくれるんだ」と、怒りにつながった…ような気がします。

 もうひとつは、これはおそらく男性に強く出ると思うのですが、自分を生み、育ててくれた「母親」が、人にウソをつくまでに老いてしまったという喪失感でしょうか。平川克美さんの介護手記『俺に似たひと』に、親が長生きすることで、我々はなかなか大人になれなくなった、という趣旨の記述があります。まさしく、「大人」になれていなかった男性にとって、最初で最後の拠り所が完全に失われていく、という実感が、母のつまらないウソから伝わってきたのだと思います。

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