スー:松浦さんの本も私の本も、どちらも非常に個人的なことが書かれていますが、一般化できない個人的な事柄の極致までいくと、それを読んだ人は自分の話を共有したくなるのだな、と。

松浦:なるほど。

スー:「一般化して最大公約数を見つけること」が、もっとも誰かの役に立つことだと思いがちですが、きっとそうじゃないんでしょう。「なんだ、うちよりひどいの、いたじゃん」とか、「なんだ、うちも同じだったよ」と感じて、辛いと感じている人や不安な人を落ち着かせるのでしょうし、そうなると、みんな自分のことをしゃべりはじめる。Twitterでもそうでしたね。この本のハッシュタグを付けてつぶやいてくれる人はほとんど、みんな自分の家族の話をしていました。今まで書いたどの本でも、こういうリアクションはありませんでした。

型にハマらないところを知って、喋って、救われる

 これまでのスーさんの本とは読まれ方が違うんですね。

スー:違いますね。サイン会やトークイベントに行っても、質問コーナーで「うちの父はこうでした」と話す方が必ず1人はいらっしゃいます。自分の親のことって、話す機会がないんでしょうね。親は完璧な太陽のような存在であるべき、という前提が社会で共有されているので、そこで「うちの親はひどくて」というお話ってあんまりできないですよ。松浦さんのご本がたくさんの方に読まれて、その方たちが自分の話をしたくなっているのは、同じようにみんな、自分の介護の話をしてこなかった、できなかったからだろうな、と。

松浦:それともう1つ、家庭のない人というのはそんなにいませんわね。

スー:なるほど。

松浦:家庭という存在は普遍なんだけど、個別のケースは極めてそれぞれ別々なものだという特徴があるから「うちはこうだ」という差異や同一の点が気になる。少なくとも私がこれまで書いてきた宇宙の本、衛星の本に対して、「うちの人工衛星はこうだった」と言ってくる人はいませんから。

 うちの人工衛星(笑)。

スー:そうですよね。確かに、おっしゃる通り。「俺の宇宙はこうだ」と言われても「知らんがな」という話ですものね。読者の方は、他の人の感想を読むことで救われる部分もあるのかもしれない。みんないろいろな思いを抱えて家族ってやっているんだ、と感じます。

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