松浦:子供としてできることは、たぶん、心配させないとかそういう話なんだろうと思うところですが。

スー:そうですよね。親は親で何があっても子供のことを心配しているから、どうしようもないんですけれども(笑)。と同時に、親としての役割から降りてわがままを言ったり、理不尽をやったりしても、こちらは目をつぶるというか。

松浦:なるほど(笑)。

スー:介護のお話にせよ、親子関係にせよ、本当に千差万別で、なにが正解かは断言できない。松浦さんや私とは全然違うおうちもたくさんあるだろうし。母親との方が仲が悪いというおうちもあるし、異性の親との方が付き合いやすいというおうちもあると思います。

一般解でなくても、世の中に出すことには意味がある

松浦:本でも「自分の体験は介護の一つのケースでしかない」と入れましたが、家族や家庭については何か1つが一般解というのが言えないんです。

スー:「一般解がないことが暫定的結論」としか言えないですね。やはり自分で自分なりの正解を見つけていくしかない。適宜修正していく「正解」です。

松浦:そんな中からでも、何か法則みたいなものはあるみたいです。というのも、この本の読者カードで一番多いのは、「自分もこうだった」という、介護経験者の方の声なんです。ひょっとすると、介護が始まると、そういった種々ばらばらなものがある範囲に収斂していってしまうのかもしれない。

 実は僕自身は、この本はむしろこれから介護に直面する人に読んでもらって、これから大変ですよ、でもこれを知っておくとちょっと楽かもしれませんよ、というつもりで書いたんです。けれども、実際は「自分の介護体験も同じだった」と感じて下さる方が多い。そこにあるのは安堵の感情なんです。つまり「自分だけじゃなかった」。

スー:驚きました。それはまったく(『生きるとか死ぬとか父親とか』の反響と)一緒です。本の感想というより「うちはこうだ」という話ばかりが寄せられてきたんですよ。

松浦:自分の体験談が書いてある。

スー:そうです。うちの父親はこうだったとか、うちは母親がこうでとか、寄せられた声のほとんどが読者の方の体験談でした。

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