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 こうしてお聞きしていると、親と自分がお互いに年を取って、生活の面倒を見たり、あるいは介護をしたりすることで、大人同士というか、1人の人間として親を見る関係になっていく、そこをどう受け止めるかが、親が老いてきた子供にとっての課題になるんでしょうね。ジェーン・スーさんの本(『生きるとか死ぬとか父親とか』)も、松浦さんの『母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記』も、そういう読み方ができるかもしれません。

ジェーン・スーさん(以下スー):そうですね。「親子といえども他者である」ということは強く感じています。あと、やはり親には親になる前の人生があり、親になってからも親以外の顔もあるということ。その尊重はだいぶできるようになったとは思います。

ジェーン・スー
1973年、東京生まれの日本人。作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ。現在、TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のパーソナリティーを務める。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ文庫)、『女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。』(文藝春秋)、『今夜もカネで解決だ』(朝日新聞出版)など。コミック原作に『未中年~四十路から先、思い描いたことがなかったもので。~』(漫画:ナナトエリ、バンチコミックス)がある。

 それは、スーさんご本人にとっては。

スー:親に対して過度な期待がなくなるので、そこは楽になりますよ。

 松浦さんのご家族と私の家族を一緒にしていいのか分かりませんが、どちらの親も、ある種「親を降りた」状態ではないかと。うちは世間一般の考える家父長制の父親像みたいなものから降りているし、松浦さんのお母様も役割から降りざるを得なかったというところがあって、そこで自分に初めて見えてきた景色、意外と悪くなかったなと私は個人的には思いました。

 松浦さん、どうでした?

松浦:まあ、そうです。

 意外と悪くなかったということですか。

母親のメモから目を逸らす(笑)

松浦:悪くなかったというか、ほかの家族は知らないので分かりません。少なくとも僕が成人してからは、母は基本的に何も言わなかったです。「親としての顔」はこっちが二十歳そこそこぐらいまででした。それはよかったです。

 ああ、むしろ逆かもしれません。最初に、介護に入ってからはじめて一個人として向き合ったと言いましたが、「この人は確かに自分の母親だ」と意識したのも、衰えてしまった後からでした。客観視したことで、同時に「母」として意識した部分もありました。

スー:なるほど。そこはうちと逆なのかもしれません。

松浦:他人だと思ったところから、逆説的に母の顔が立ち現れるし、同時に「これが母親だ」と意識したときに、他人としての人生が立ち現れてくるんです。古いアルバムをひっくり返すと、女学生時代の母親の写真とか出てくるわけですよ。それを見ると、明らかに自分の知らない――将来自分が、私の父と結婚して私が生まれることが分かってない――若い娘が写っているわけです。それとちょっと似ています。

スー:はい、そうですね。

松浦:古い娘時代のメモとか出てくると、ちょっと公開できない、あっ、これは見ちゃいかん、みたいなのが出てきたりね。

スー:書き物を取っていらっしゃったんですね。

松浦:ありました。私の母は、アメリカにあこがれていたから、海外と文通していたんですね。そうすると文通相手の例えばアメリカの若い娘さんの写真とか出てきたりして。

スー:ああ、今どうしているんだろうな。

松浦:そう。いろいろ考えちゃいます。やっぱり自分とは違う他人の人生なんですよね。

スー:そうですよね。親の責務みたいなものから逃してあげるというか、親を、入っている籠から出してあげるのも中高年の子供の仕事の1つなのかもしれないですね。