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こうしてお聞きしていると、親と自分がお互いに年を取って、生活の面倒を見たり、あるいは介護をしたりすることで、大人同士というか、1人の人間として親を見る関係になっていく、そこをどう受け止めるかが、親が老いてきた子供にとっての課題になるんでしょうね。ジェーン・スーさんの本(『生きるとか死ぬとか父親とか』)も、松浦さんの『母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記』も、そういう読み方ができるかもしれません。
ジェーン・スーさん(以下スー):そうですね。「親子といえども他者である」ということは強く感じています。あと、やはり親には親になる前の人生があり、親になってからも親以外の顔もあるということ。その尊重はだいぶできるようになったとは思います。
それは、スーさんご本人にとっては。
スー:親に対して過度な期待がなくなるので、そこは楽になりますよ。
松浦さんのご家族と私の家族を一緒にしていいのか分かりませんが、どちらの親も、ある種「親を降りた」状態ではないかと。うちは世間一般の考える家父長制の父親像みたいなものから降りているし、松浦さんのお母様も役割から降りざるを得なかったというところがあって、そこで自分に初めて見えてきた景色、意外と悪くなかったなと私は個人的には思いました。
松浦さん、どうでした?
松浦:まあ、そうです。
意外と悪くなかったということですか。
母親のメモから目を逸らす(笑)
松浦:悪くなかったというか、ほかの家族は知らないので分かりません。少なくとも僕が成人してからは、母は基本的に何も言わなかったです。「親としての顔」はこっちが二十歳そこそこぐらいまででした。それはよかったです。
ああ、むしろ逆かもしれません。最初に、介護に入ってからはじめて一個人として向き合ったと言いましたが、「この人は確かに自分の母親だ」と意識したのも、衰えてしまった後からでした。客観視したことで、同時に「母」として意識した部分もありました。
スー:なるほど。そこはうちと逆なのかもしれません。
松浦:他人だと思ったところから、逆説的に母の顔が立ち現れるし、同時に「これが母親だ」と意識したときに、他人としての人生が立ち現れてくるんです。古いアルバムをひっくり返すと、女学生時代の母親の写真とか出てくるわけですよ。それを見ると、明らかに自分の知らない――将来自分が、私の父と結婚して私が生まれることが分かってない――若い娘が写っているわけです。それとちょっと似ています。
スー:はい、そうですね。
松浦:古い娘時代のメモとか出てくると、ちょっと公開できない、あっ、これは見ちゃいかん、みたいなのが出てきたりね。
スー:書き物を取っていらっしゃったんですね。
松浦:ありました。私の母は、アメリカにあこがれていたから、海外と文通していたんですね。そうすると文通相手の例えばアメリカの若い娘さんの写真とか出てきたりして。
スー:ああ、今どうしているんだろうな。
松浦:そう。いろいろ考えちゃいます。やっぱり自分とは違う他人の人生なんですよね。
スー:そうですよね。親の責務みたいなものから逃してあげるというか、親を、入っている籠から出してあげるのも中高年の子供の仕事の1つなのかもしれないですね。
松浦:子供としてできることは、たぶん、心配させないとかそういう話なんだろうと思うところですが。
スー:そうですよね。親は親で何があっても子供のことを心配しているから、どうしようもないんですけれども(笑)。と同時に、親としての役割から降りてわがままを言ったり、理不尽をやったりしても、こちらは目をつぶるというか。
松浦:なるほど(笑)。
スー:介護のお話にせよ、親子関係にせよ、本当に千差万別で、なにが正解かは断言できない。松浦さんや私とは全然違うおうちもたくさんあるだろうし。母親との方が仲が悪いというおうちもあるし、異性の親との方が付き合いやすいというおうちもあると思います。
一般解でなくても、世の中に出すことには意味がある
松浦:本でも「自分の体験は介護の一つのケースでしかない」と入れましたが、家族や家庭については何か1つが一般解というのが言えないんです。
スー:「一般解がないことが暫定的結論」としか言えないですね。やはり自分で自分なりの正解を見つけていくしかない。適宜修正していく「正解」です。
松浦:そんな中からでも、何か法則みたいなものはあるみたいです。というのも、この本の読者カードで一番多いのは、「自分もこうだった」という、介護経験者の方の声なんです。ひょっとすると、介護が始まると、そういった種々ばらばらなものがある範囲に収斂していってしまうのかもしれない。
実は僕自身は、この本はむしろこれから介護に直面する人に読んでもらって、これから大変ですよ、でもこれを知っておくとちょっと楽かもしれませんよ、というつもりで書いたんです。けれども、実際は「自分の介護体験も同じだった」と感じて下さる方が多い。そこにあるのは安堵の感情なんです。つまり「自分だけじゃなかった」。
スー:驚きました。それはまったく(『生きるとか死ぬとか父親とか』の反響と)一緒です。本の感想というより「うちはこうだ」という話ばかりが寄せられてきたんですよ。
松浦:自分の体験談が書いてある。
スー:そうです。うちの父親はこうだったとか、うちは母親がこうでとか、寄せられた声のほとんどが読者の方の体験談でした。
スー:松浦さんの本も私の本も、どちらも非常に個人的なことが書かれていますが、一般化できない個人的な事柄の極致までいくと、それを読んだ人は自分の話を共有したくなるのだな、と。
松浦:なるほど。
スー:「一般化して最大公約数を見つけること」が、もっとも誰かの役に立つことだと思いがちですが、きっとそうじゃないんでしょう。「なんだ、うちよりひどいの、いたじゃん」とか、「なんだ、うちも同じだったよ」と感じて、辛いと感じている人や不安な人を落ち着かせるのでしょうし、そうなると、みんな自分のことをしゃべりはじめる。Twitterでもそうでしたね。この本のハッシュタグを付けてつぶやいてくれる人はほとんど、みんな自分の家族の話をしていました。今まで書いたどの本でも、こういうリアクションはありませんでした。
型にハマらないところを知って、喋って、救われる
これまでのスーさんの本とは読まれ方が違うんですね。
スー:違いますね。サイン会やトークイベントに行っても、質問コーナーで「うちの父はこうでした」と話す方が必ず1人はいらっしゃいます。自分の親のことって、話す機会がないんでしょうね。親は完璧な太陽のような存在であるべき、という前提が社会で共有されているので、そこで「うちの親はひどくて」というお話ってあんまりできないですよ。松浦さんのご本がたくさんの方に読まれて、その方たちが自分の話をしたくなっているのは、同じようにみんな、自分の介護の話をしてこなかった、できなかったからだろうな、と。
松浦:それともう1つ、家庭のない人というのはそんなにいませんわね。
スー:なるほど。
松浦:家庭という存在は普遍なんだけど、個別のケースは極めてそれぞれ別々なものだという特徴があるから「うちはこうだ」という差異や同一の点が気になる。少なくとも私がこれまで書いてきた宇宙の本、衛星の本に対して、「うちの人工衛星はこうだった」と言ってくる人はいませんから。
うちの人工衛星(笑)。
スー:そうですよね。確かに、おっしゃる通り。「俺の宇宙はこうだ」と言われても「知らんがな」という話ですものね。読者の方は、他の人の感想を読むことで救われる部分もあるのかもしれない。みんないろいろな思いを抱えて家族ってやっているんだ、と感じます。
個人的なことを話すと、みんなの知恵が集まってくる
松浦:その意味では私たちの本は社会的な……どう言えばいいのでしょうか、いわゆる「女性のおしゃべり」、井戸端会議的な機能を社会的に実装した、ようなもの?
スー:そうかもしれません。自分の話だけしかしてないですから、お互いに。つまり、完全に一方通行な雑談をしているのと同じですもんね。
だからこそ、「超個人的なことを詳らか(つまびらか)にする」ってすごく大事なんだと思います。松浦さんのご著書も拙著も読者の方がご自身の感想を送ってくださるのは、「こちらが胸襟を開けば向こうも開いてくる」証左ですし、胸襟を開き合った先には、今日を乗り越える生活の知恵が見えてくるんだと思います。
最初におっしゃっていた、四方山話から生活の知恵が共有されていくお話ですね。これ、スーさんのラジオ番組(『ジェーン・スー 生活は踊る』)そのもののような。
スー:『母さん、ごめん。』には、お母さまが(使用後の)大人用おむつを台所に置いておく。翌朝、その臭いがなかなかきつい、というエピソードがありました。読んだときに、この手の相談をする相手はなかなかいらっしゃらないだろうなと思いました。仮に、仲のいい友達がいたとしても、それこそ「うちの彼氏がさ」「うちの夫がさ」といった話ができる、何でも話せる女友達がいたとしても、親の介護の話を共有するのは、そこからもう1つハードルが高いことだと。
だからこそ、情報を共有しないとどうにもならんというか。みんなの英知が集まってこないと解決できないと思うんです。
たまたま私は……実際に役に立つか分からないので差し出がましい話ですが、この場面を読んだときに、ラジオ番組の生活情報で、「おむつのにおいが絶対に漏れないビニール袋」を紹介したのを思い出したんです。ああ、松浦さんのことをもっと前に知っていたら絶対「これ、使ってみたらどうでしょう」と言えたのに、と思って。
松浦:それは知りませんでした。
スー:たしか、夏の生ごみ対策の話の中で出てきたんです。いろいろなビニール袋に生ごみを入れて、どれが臭い、臭くないとレポートするコーナーをやりまして(笑)。
やっぱり場が必要ですよね。今回は松浦さんも私も書いた本が場になったというか、みんなが接続できる、いい感じのハブになったのかなと。
松浦:それはそうですね。
読者さんの投稿が本当にすごく熱いんですよ。
場を作って、ハブになるのが大事
スー:すごく分かります、その感じ。生活情報って、大元の人がハブになるのが一番いいんですよ。大元の人が大上段から新しい生活情報を民に授ける必要はまったくない。場をつくってハブになることが大事。ラジオ番組ではそれを目標にしてます。
……Raiseでやらせてもらおうかな、編集長に相談してみます。
スー:独身者の介護経験者が集まる場があったら助かります。意見交換や体験談を共有する場があれば、家族と同じように機能するんじゃないかな。
松浦:確かに。これも本にありますが、うっかり洗濯機の中に紙おむつを入れてしまって、吸水性のポリマーが散らばっちゃって大変だったんです。
ああ、赤ちゃんがいる家ならあるある話ですね。
松浦:後で、塩を入れると溶けるという話を聞いて、あ、しまったと。今は需要がないのでほったらかしにしていますけど、自分でも実験せなあかんと思ってます。
実験するんですか。
松浦:いや、だって話を聞いただけじゃ信用できない。まず自分でやってみないと。
スー:そうですよね。
うっ、そうでした。
スー:『母さん、ごめん。』では、松浦さんが現状を冷静に観察、分析しどんどん効率化を図っていく部分と、「ソフトの温かみ」をもっと重要視して効率化と同時に行わなければいけない、というご指摘に感銘を受けました。私のラジオ番組にも、いつか来ていただきたいです。「セッション」(TBSラジオ)には出ていただいているんですもんね。
松浦:ああ、そうです。
スー:生活情報番組なので、かなり畑違いだとは思いますが(笑)。「スーさん、母親のブラジャーのサイズは知っておいた方がいいよ」という第一声でよければ、ぜひご登場ください。そういうのは、ソフト的にはすごく大事なことなんですよね。
そして、下着を買う時はご用心
スー:読んではっとしました。「あ、そうか」と。私は父親の下着は分かる。なぜなら、男性の下着ってシンプルだから。だけど、「そうか、息子は母親の下着が分からないんだ」と。
松浦:しかも本人申告は当てにならんのです。
スー:そうですね。
松浦:本当にね。僕は妹に母の肌着を通信販売で買ってもらったんですけど、「本人はMと言っているけど、私の見たところLだからLを送ったわ」と言われたんです。
スー:女の自己申告サイズはあてになりませんね(笑)。
松浦:いまだによく分からない、正直言って。夏と冬で違ったりするし(笑)。
スー:やはり「場」が必要ですね。「下着」で検索すれば「こういうのがいいですよ」とすぐ出てくる。そういうハブを作っておかねば。個人差はあっても、参考にはなります。
松浦:すごく有意義だと思います、本当に。今日はありがとうございました。
スー:こちらこそありがとうございました。
(終わり)
読者のみなさんの熱量の一端を
改めてご紹介させてください
ご愛読いただいた「介護生活敗戦記」が『母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記』として単行本になりました。この本を校了してから私自身が田舎に帰省して、さっそく活用した次第を、こちらの番外編でご紹介しています。
が、やはり本で一気読みすると、頭への入り方が違います。お手にとって改めてご覧下さい。夕暮れの鉄橋を渡る電車が目印です。よろしくお願い申し上げます。(担当編集Y)
---------読者の皆様からのコメント(その8・再掲)---------
今回は「果てなき介護に疲れ、ついに母に手をあげた日」の回にいただいたコメントの一部をご紹介します。
●辛いことを、よく書いてくださいました。
人としての姿勢とともに、ジャーナリストとしての姿勢にも、敬意を評します。
●現実に起こった一つの事実をはっきりと言葉にして下さり、感謝しています。私自身介護の経験はありませんが、遠くない将来に起こることとして、真剣に向き合っていきたいことなので、実際のことを教えて頂けるのは、とても助けになります。
●相当ヤバい問題ですが、少子化と同じで何も国は有効な対策はしないままだと思いますので自己責任で対策を立てるしかありません。そういう意味で、本当にありがたいコラムです。
●(前略)心配でもあり切羽詰まって、このとき生涯でただ一度だけ「ちゃんとしないとグーで殴るよ」と母に言ってしまいました。言葉だけで実行はしませんでしたがいまだに胸が痛みます。松浦さんもどんなに苦しかったことか。いろいろな意見があると思いますが、介護で辛いのは対象が好きであればあるほどそのギャップに耐えられないからではないかと思います。
このときはご近所の方に助けていただき、無事病院に行くことができました。母はその後良い施設でケアしていただき、前より充実した日々を過ごすことができるようになりました。先月心疾患で突然亡くなりましたが、最後の顔は安らかでした。生前言えなかったけれど、母への懺悔も兼ね初めて投稿いたしました。
●本のタイトルですが、連載して、多くのコメントをもらって、本当にこれは「敗戦記」だったのかと、松浦さんの中で何かが変わったのでは?そんな気がします。
●祖母(父の母)を一人で介護していた母が、離れて暮らす私に電話でよく文句を言っていました。ボケてきた。おもらしする。わがままで困る。年寄りだからしょうがないでしょ!怒ったりしたらかわいそうだよ、と私は母を責めていたのですが、、この連載を読むたびに電話の向こうの母の声を思い出し、胸が痛いです。
介護する側の心の痛みについて何もわかっていませんでした。
書いてくださって本当にありがとうございます。
●読んでいて涙が出そうになりました。
身内の介護に関しては未経験ではありますが、肉親や主人のご両親を将来介護する可能性は十分有りますのでいつも参考にさせて頂いております。
よくメディアで介護による虐待に関するニュースが報道されているのを目にしますが、松浦さんのような背景を抱えている方の苦しみの表れでもあり、また、報道は氷山の一角にすぎず、こういった苦しみを多く抱えている方の存在は数えきれないのだろうなと、想像して胸が痛くなりました。
人に見せたくないないような感情の動きや自分の弱さを誰かへ見せるだけでも勇気のいる事なのに、包み隠さず文章へ記して連載した松浦氏へは頭が上がりません。
他人事では無く、起こるかもしれない自分の未来への備えとして、是非書籍を購入し、周りの友人へもすすめたいと思います。
●母に手をあげたくだりを読んで、職場なのに泣いてしまいました。
とにかくお疲れ様です。
●前回もそうでしたが、非常に重い話でなんとコメントすればよいか逡巡してしまいます。が、思い切って書いていただいた松浦さんに敬意を表したいと思います。この本は必ず買います。
●今月に単行本にまとまって本が出るようですが、松浦氏に対する深い敬意と、日経に似たような素材で深刻な時事問題を疑似体験できるコラムを他にも出してもらいたいという強い要望を示すために、さっそく予約しました。
まさに「シーシュポス」、劇的な瞬間に命を懸けるのは悲劇でも苦痛でもない。終わることなく打ち続く鈍い痛みと未来への諦めこそ耐えることのできないものだ。親を介護するという地味な毎日の繰り返しこそまさにそれだ。
NHKというか日経だからTV東京か。このコラムをこの雰囲気のままでドラマ化できないもんですかねえ?(文章では伝わっても映像では面白くないものがあるから本がなくならないわけですが)
●いつも拝見しています。ありがとうございます。父が認知症です。いやなこともすぐに忘れてしまうのが、少し幸せなのかもしれないと思うことあります。手を上げないまでも、プリプリ怒ってしまうこといつもです。家族ゆえに、誰にでも起こりうること・・。介護する側がケアマネさんの力を頼り、介護生活だけにならず、仕事をし、趣味の時間を持ち・・となればと思っています。みんなで考えられればと思います。
●読んでいて涙が出ました。よく子育てで子供を叩く親もそれ以上の痛みを心に負うと言いますが、介護も同じと思います。
私の場合は手をあげるところまではいきませんでしたが、思うようにならない親を叱りつけることしばしば、これもきっと言葉の暴力だったかもしれません。親が亡くなってもその後悔と痛みは今も引きずっています。
それを乗り越えるのは只一つ、これも親から授けられた人生の教訓と胸に刻み、子供に同じ思いをさせないよう最善の努力を尽くすことではないでしょうか。認知症を治す薬はないとしても、それを遅らせるための生活習慣の改善がいろいろと提唱されています。遅まきながら私も実践することにしています。
●この連載は読み物として面白く、また大変有益な情報を得られる。
しかしながら、母への愛や感謝も感じさせるだけに、とても悲しい。
●私は未だ30代なかばです。親もまだ60代前半で意気軒昂。ですが、昨今のニュース等で介護が苦しいことになることは見聞きしておりました。松浦さんが母親に手を上げた時も辛かったかと思いますが、それを文字にする時もまたお辛かったと思います。私もいつかこうなる可能性があると考えると慄然するとともに、涙無しには読めない記事でした。
(連載にいただいたコメントから引用させていただきました。本当に、ありがとうございます)
この記事はシリーズ「介護生活敗戦記」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
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