廊下や階段の途中に男性社員が溜まってひそひそ話をしていれば、それは大抵三菱系企業の悪口だったという。横を通ると「○○(系列企業の名前)の野郎」というような、毒を含んだ言葉が聞こえて、これまた「いやーな気分になった」そうである。

金を無心に来ていた力道山

 調査部には、いつも得体の知れない人物が出入りしており、部長はそんな連中が来るたびに金を渡していた。

 「後で考えると総会屋とかそんな類だったんでしょうね。当時は、『ああ、妙な人たちが来ているんだなあ』と思っただけだった。お金を渡すのも、そんなものか、それが社会では当たり前なのかと感じていた」。

 一人だけ、記憶に残る人物がいるという。プロレスの力道山だ。

 力道山は足繁く調査部にやってきては金を貰い、代わりに後楽園ホールで開催する試合のチケットを山ほど置いていった。そのチケットは社員に配られた。

 当時力道山は大人気だったので、チケットを転売すれば換金できたはずだ。おそらく、そうやって闇所得を得た社員もいたのではなかろうか。

 母はそんなことを思いつくほど金儲けの才があったわけではなかったので、会社の同僚と後楽園ホールへ力道山の試合を観に行った。

 この話を聴いた時も、私は興奮した。あの力道山の試合を目の当たりにしたというのだから、興奮しない方がおかしい。いつだったか。どんなものだったか、力道山と誰が戦った試合だったか、と勢い込んで尋ねたが、母の返事といえば「大の男が、ばっちーん、ばっちーんと音を立てて殴り合いしているだけで、ちっとも面白くなかった。一度見たからもういいと思って二度といかなかった」という素っ気ないものだった。

 その当時も家庭の都合などで結婚せずに会社で働き続ける女性がいたという。母はその道を選ばず、4年の勤務の後に昭和36年(1961年)に結婚退社した。寿退社は当然のことであって、結婚後も働き続けるという選択肢は存在しなかった。

 では、どうやって父と出会ったのか。