そこで女性社員として与えられた仕事といえば――男性社員と来客にお茶を入れることと、職場の掃除だった。「職場の花」もいいところである。

 週に何回か当番があり、朝早く会社に行って、ぞうきんを絞って全ての机を拭く。そして、男性社員が出勤してくる前に、お茶を入れて机の上に置いておく。

 「そこに座っていればいいという扱いだったわ」と母は言っていた。当然、仕事らしい仕事なんかさせてもらえない。だからといって、会社にこないわけにはいかない。はっきり書けばヒマである。昨今のブラック企業からすれば夢のような職場ともいえるだろう。コンプライアンスは緩く、女性は差別されていた時代ならでは、である。

人間コピー機の仕事が面白いはずがない

 時間をもてあました母は、会社に世界文学全集を持ち込んで読み始めた。すると、「勤務時間内になんてことをする」としかられた。実は、この世界文学全集は今も実家に残っている。昭和28年から31年にかけて刊行された新潮社「現代世界文学全集」だ。

 そこで母は策を弄した。英語の小説本を持ち込んで、読み出したのだ。今度は誰も何も言わなかった。このことからすると、海外事業本部であっても、英語が使えない男性社員がかなりいたのであろう。

 たまに回ってくる仕事といえば、書類を別の部署に届けるというようなお使いや、手書きによる書類の複製の作成が主だった。今ならパソコン上でファイルをコピーしてメールに添付すればおしまいだ。

 人間コピー機の仕事が面白いはずがない。が、それでも仕事になっているだけましだったという。なにしろ、仕事がないときには、男性社員の求めに応じて外でタバコだのなんだのと、私物で買ってくるというようなこともあったのだから。

 通関に必要な書類を横浜の税関に届けるというような仕事もあった。こういう時は1日がかりの仕事となる。会社を離れて外出するとせいせいしたという。

 給料は安かった。これはかなり根に持っていたようで、母の思い出話には、時折「ケチビシ電機」という単語が挟まるぐらいだった。学生時代に親元から受けていた仕送りよりも少なかったという。