最後のヘルパー勤務の日、Kさんには花束を贈呈して労をねぎらった。
 連絡先を交換しておいたところ、数か月後にメールが届いた。
 「自分の母の介護は今までと勝手が違って苦労しています」ということだった。

 Kさんほどの経験豊富なベテランのヘルパーであっても、肉親の介護となると苦労するのだ。家族が主体となって老人の介護を行うことの難しさを、私は改めて実感した。

2つめの介護体制の崩壊が始まる

 Kさんがいなくなった穴は、なかなか埋まらなかった。

 何人かのヘルパーさんが交代で入ってくれるようになったが、いきなり知らない人が何人も家に入ることに、まず、母は拒否反応を示した。「あなた誰。どうしてここにいるの」から始まって、「あなたの作る飯はまずい。こんなもの食べられない」まで――ヘルパーさんに怒りを向け、まるで3月にメマリーを服用し始める前に戻ったかのようだった。

 その時点でできる限りの介護の体制を組み、「これで大丈夫」と思っても、認知症と老化の両方が進行していくので、いずれは破綻する。また次の介護体制を組まなくてはいけない。

 母の場合、2015年の春に組んだ要介護1の介護体制は2015年秋頃からほころびはじめた。それに対応すべく要介護3の認定を得て2016年3月に組んだ体制は、同年8月頃から行き詰まりが見え始めた。8月、9月と、母の状態は悪くなっていったのである。アルツハイマー病もさることながら、老化に伴う身体機能の低下が顕著だった。

 8月の初め、朝起きると母は左腕に大きな擦り傷を作っていた。もちろん何が起きたか、母は覚えていない。

 応接間の土壁を見ると、丁度母の肩の高さから弧状のこすり跡がついている。それで夜中にトイレに起きた時に転倒したと理解した。右脇腹が痛いといい、痛みはなかなか取れなかった。整形外科に連れて行こうとしても、「医者は嫌。絶対嫌」と突っぱねる。

 それでも痛みが続くので、引っ立てるようにして連れて行くと、今度は肋骨を1本、骨折していた。肋骨の骨折は痛みをこらえて、骨がくっつくのを待つしかない。

 整形外科では、母のアルツハイマー病の進行を実感することになった。1年前に肩脱臼で受診した時と比べると、明らかに医師との会話がちぐはぐになっていた。

 衰えを感じたことを挙げていけばきりがない。

 足が弱り、歩くのが遅くなった。
 一度座り込むと、なかなか立ち上がろうともしない。

 夏は暑いので、老犬を連れての散歩は、早朝、または夕方にしていたが、かつてはさっさと歩いていた道を、時々立ち止まっては壁に寄りかかり息を整えないと歩き通せなくなってきた。危険なので、それまで母が持っていた犬の引き綱を、私が持つようになった。

 毎週1回、金曜日のリハビリのデイサービスには相変わらず通っていたが、半日のトレーニングでは母の体力低下を押しとどめることはできないようだった。