朝食と夕食、そして日曜日の三食は、私が作り続けた。日曜日の昼食はインスタントと決めて、冷凍食品の麺類を出すようにして積極的に手を抜いた。
時々は、特別な食事も作った。父が満州育ちだったので、我が家には父方の祖母が大陸で覚えてきたという餃子のレシピが伝わっている。キャベツを入れず、野菜は白菜とニラのみ。ニンニクとショウガをたっぷり使う、というものだ。
思い出の餃子が教えた、母の衰え
季節の変わり目や、弟や妹が来た時など、なにかにつけてこの餃子を作った。
餡は私が作るが、包む作業は母と共同だ。指先を使うので、アルツハイマー病の進行度合を計ることもできるだろう、という考えだった。
悲しいかな、餃子の包み具合で病気の進行を計るという目論見は的中した。
最初はてきぱきと餃子を包んでいた母だったが、2016年に入るとテンポ良く包むことができなくなり、2016年の晩秋に餃子を作った時は「もうできない。あんた全部やってちょうだい」と作業を放棄したのだった。
(次回に続く)
有料会員限定記事を月3本まで閲覧できるなど、
有料会員の一部サービスを利用できます。
※こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。
※有料登録手続きをしない限り、無料で一部サービスを利用し続けられます。
この記事はシリーズ「介護生活敗戦記」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
Powered by リゾーム?