(前回→「マンガのような母の悲鳴、病院に響く」)

デイサービス通所初日から、左肩脱臼というとんでもないトラブルに見舞われたが、おかげで母の生活の拠点を2階の自室から1階の居間に移すことができた。
失禁は相変わらずだが、ヘルパーさん達の誘導(介護の世界では「説得」とは言わない。自らその方向に動くように“誘導する”という)で、本人不承不承ながら、尿漏れパッドを着用してくれるようになった。そしてウィークデイの昼間はヘルパーさんが入ることで、私が食事の用意をする必要がなくなった。
2015年7月、どうやらやっと、公的介護保険制度で本格的に介護する体制が整った。2014年7月に母の様子がおかしいことに気が付いたのだから、実に1年かかってしまったわけである。ここまで負けて負けて負け続けて、ようやく踏みとどまる足がかりができた。
今回は、母の食事に関してどのような苦労があって、どうやって乗り切ってきたかをまとめておく。私のやったことが介護面や栄養面において絶対正しいとは思わないが、いい年した独身男が母の食事の面倒を見ることになってどんな七転八倒を経験したかは、いくらかは役に立つ情報になる、かもしれない。
2015年の年明けあたりから、母は自分で食事の支度がまったくできなくなり、三度の食事を用意する責任が私にかかってきた。あまり「おいしい」とは言ってもらえず、申し訳ないことをしたと思っているのは、以前書いた通りだ(「家事を奪われた認知症の母が、私に牙を剥く」)。
が、食事には楽しみの他に身体の健康を維持するという役割がある。うまいまずいとは別に、健康を害するような食事にならないように、それなりに注意はした。
ポリシーは「野菜を一日350g」
最初に考えたのは、「健康を維持できる食事のポリシー」を考え、徹底すべきだろうということだった。ポリシーといっても、大層なものではなく「これさえ守っていれば健康は維持できる」という原則はないかと考えたのである。
が、栄養学の専門家ではない自分がいくら考えても限界がある。また、ポリシーが煩雑なものになっては、どうせ守れないだろう。色々考えた末に、ひとつだけ決めた。
「毎日野菜は、生で計った状態で350g以上を、なるべく食べるようにする」ということだ。
これは、厚生労働省が出している栄養摂取基準そのものである。いろいろやってもどうせ続くはずがないのだから、一番普通で、かつ効果がありそうなものだけを守ろうと考えた。
タイトルは『母さん、ごめん』です。
この連載「介護生活敗戦記」が『母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記』として単行本になりました。
老いていく親を気遣いつつ、日々の生活に取り紛れてしまい、それでもどこかで心配している方は、いわゆる介護のハウツー本を読む気にはなりにくいし、読んでもどこかリアリティがなくて、なかなか頭に入らないと思います。
ノンフィクションの手法でペーソスを交えて書かれたこの本は、ビジネスパーソンが「いざ介護」となったときにどう体制を構築するかを学ぶための、読みやすさと実用性を併せ持っています。
そして、まとめて最後まで読むと、この本が連載から大きく改題された理由もお分かりいただけるのではないでしょうか。単なる介護のハウツーを語った本ではない、という実感があったからこそ、ややセンチな題となりました。
どうぞお手にとって改めてご覧下さい。夕暮れの鉄橋を渡る電車が目印です。よろしくお願い申し上げます。(担当編集Y)
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