人には相性というものがあって、ヘルパーさんに関しても、介護される側との「合う、合わない」はある。この点、母は幸運だった。私のソウル出張中に来てくれたヘルパーのKさん、Wさん、Sさんには、その後ひとかたならぬお世話になることとなった。その後若干の人の出入りがあって、結局母は総勢6人のヘルパーさんに支えてもらうことになったのだが、彼女たち3人は主力として、母の生活を支えてくれた。

 特に、KさんとWさんはその後、ぐずる母をデイサービスに送り出す朝の送り出し要員として大変活躍してくれたのである。

 ただし、最初はやはり大変だったようだ。

 私は、その場に立ち会ったわけではないが、母は「あなた誰?なんの為に来たの」と、警戒した様子だったという。が、そこはきちんと講習を受けたプロである。何度も同じ言葉を繰り返す母に柔らかく対応し、食事を作り掃除・洗濯をして母の生活を支えてくれた。土日は弟が入ったし、週の後半からは妹も加わり、母はヘルパーさんの導入という生活の変化を乗り切ることができた。

 心配しつつ帰宅した私を迎えたのは、まんざらでもない母の表情だった。

 もっとも記憶はあまり残っておらず、その後も何度も来ているヘルパーさんを指さしては「誰、あの人?」と聞かれたのだけれど。

更新されていないデイサービス施設のイメージ

 ヘルパーさんの導入と並行して、母をもうひとつのデイサービスに通わせる準備も進めていた。

 毎週金曜日、午前9時~正午のリハビリテーションの時間は、私にとってほぼ唯一の空白の時間となったが、それだけでは、私にかかる負荷はあまり減らない。要介護1で使える公的介護保険の点数からすると、その他に週に1日はデイサービスに通うことが可能である。

 母は、元気な頃から「老人を一カ所にまとめて面倒を見る場所」を強く嫌悪していた。「年寄りあつめて、チイチイパッパとかお遊戯やらせて、何そんなバカバカしい。私はそんなものの世話にならない。なりたくない。自分は好きなように生きる」と、ことある毎に言っていた。

 これは、自分もそうだし、おそらく読んでいる方の殆どが同感だろう。だが、実際問題として現在のデイサービス施設では、「老人にチイチイパッパとお遊戯」なんかさせていない。

 恐らく母が、「老人を集める場所」について偏見を持つようになったのは、自分が父親、すなわち私の祖父を介護した1980年代後半から1990年代初頭にかけてだろう。「チイチイパッパのお遊戯」は、まだ社会が増える認知症老人に対してどう対応して良いか分からない時代の試行錯誤のひとつだったのだ。