結局、2015年4月の散歩中の転倒で、新薬の臨床試験参加のチャンスを逃してしまったのだから、私の判断は間違っていた。「なんでも自分にやらせたほうがいい」という判断も、結局は介護からの逃避だったのかも知れない。

 もう少し母の様子をきちんと観察し、適切なタイミングで一緒に散歩に行くようにするべきだった。だが、日常的にどんどん介護に時間をとられるようになる状況下では、毎日の小1時間という時間が、とてもとても貴重に感じてしまったのである。

 転倒の後、私は母と老犬の散歩に毎日付きそうようになった。「ちょっとの手間を惜しんで、転んで怪我して、バカみたいだ」と弟に言われた。その通りだ。が、そのちょっとの手間が、散歩に限らず生活のあらゆる局面で発生し、どこまでも積み上がって自分の生活と仕事の時間を圧迫していく――それが介護という作業の特徴であった。

「そんなの知らない。必要ない。私は行かない」

 幸いなことに、比較的近所に身体のリハビリテーションを専門に行うデイサービス施設があり、週に1回だけだが定員に空きがあることが分かった。運動専門なので、デイサービスといっても半日、朝9時から昼12時までである。半日というのは、慣れさせる意味でも最初の一歩として好都合だ。

 こうして母の最初のデイサービスは、リハビリテーション運動を半日行うということになった。毎週金曜日に通うことになり、初回は2015年5月22日。

 さて、次なる問題は、デイサービスに通うことを母に納得させることである。

 「やだ」と母は即答した。「なんで私は、そんなところに通わないかんの。私は私のしたいように暮らしたいの。そんなところにいって、号令掛けられて一緒に運動なんて絶対いや」。

 とりつくしまもない、とはこのことだ。何回説明しても返事は同じ。しかも、毎回忘れるので、最初から説明しなおし、同じ反応を聞かされる。

 これは相当揉めるぞと覚悟し、5月22日の当日を迎えた。

 自動車で「松浦さーん」とお迎えが来た。「さあ行きましょう」と母をうながすと、「どこに行くの」とけげんな表情で聞き返す。「午前中、リハビリの運動をしに行くんですよ」というと、「そんなの知らない。必要ない。私は行かない」と言い、2階の自分の部屋にこもってしまった。

 「さあ、行きましょう」とうながすが、母は動こうとしない。行きましょう、いやだ。行きましょうったら、いやだいやだ――言葉が通じる状態ではなく、やがてもみ合いになった。母は背中を向け、寝転がって抵抗した。

 既視感があった。俺、これと同じところ見た事がある、否、やったことがある。
 子供の頃、デパートでおもちゃを買ってもらえなくて泣いて寝転がって抵抗したことがあるが、まるっきり同じだ。