2015年4月の転倒は、2013年頃から徐々に進行した体力の低下が原因であることは間違いない。「歩く」という、人間にとって基本的な動作が危うくなれば、ますます体を動かさなくなり、一気に体が衰えるであろうことは容易に予想できた。再度転倒し、骨折でもしようものなら、そのまま寝たきりになる可能性だってある。

 可能な限り今までの生活を維持するためには、まず肉体だ。特に脚の衰えを防がなくてはならない。

運動に熱心に取り組んでいた母

 もともと母は、しっかり運動を心がけていた。

 毎週スポーツクラブで泳ぎ、さらに太極拳の教室にも通っていた。太極拳には一時期かなり入れ込んで、専用の衣装や靴まで揃えていたのだが、それが2012年の中頃だったか「もうやらない」とぱったりとやめてしまった。

 弟はこの件を「太極拳をやめたから認知症になったんだ。あの時随分やめるなといったのだけれど」と分析した。が、兄弟でよくよく考えるに、話は逆ではないかということになった。なにか認知症の初期症状で、それまで出来ていた太極拳の所作ができなくなったのではないか。そのことを人に知られるのがいやで「太極拳やめる」となってしまったのではないだろうか。とすると、あれほど熱心に習っていた太極拳をぱったりとやめたことは、認知症の兆候だったということになる。

 水泳は、それでも2015年の春になると数回は通った。が、6月に入ったころだったか、スポーツクラブから電話がかかってきた。

 「松浦さんですが、いままで使えていたロッカーが使えなくなってしまったようなんです。どうしたのでしょうか」――ああ、もう水泳もだめか、と嘆息した。この電話と前後して、後述する失禁の問題が始まった。失禁してしまう身体で、他人様も一緒に泳ぐプールに通わせることはできない。スポーツクラブは退会ということになった。

 こうして見ると、ひとたび認知症を発症すると、本人の意志で進行する老化に抵抗するのは非常に難しいことが分かる。

犬との散歩に付き合うべき、だったが…

 もうひとつ、母は毎日老犬と共に近所を散歩していた。転倒の原因となった習慣である。

 犬は、ガンを患った父が生前小康を得た時に「目が合ってしまって」と突如連れてきたシーズーとテリアの混血で、母によくなついていた。父としては「自分がいなくなってもさびしくないように」と考えたのかも知れない。母も、毎月犬をトリマーに出してきちんと毛を手入れするなどして、ずいぶんと犬をかわいがった。

 認知症の症状が出始め、身体の衰えが明らかになった2014年秋以降、弟は「足元があぶないから、兄貴が付いて一緒に散歩するべきだ」と主張していたが、私は怠っていた。距離は大したことはないが、ぽたぽたとゆっくり歩く老母と老犬の散歩は、小1時間ほどかかる。どんどん介護に時間を取られる中で、その時間が惜しかった。

 なによりもこの時期、母はまだ自分の意志で犬を連れて散歩に出ていた。自分の意志で自分でできることは、なるべく自分にやらせたほうが衰えは防げるのではないだろうかと考えたのである。